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zoom RSS ソ連の罠が仕掛けられた今の憲法と、日本の建国理念を踏まえて作成された明治憲法の違いとは?

<<   作成日時 : 2017/07/01 23:01   >>

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自民党憲法改正推進本部は29日、党本部で非公式幹部会合を開き、安倍晋三首相が表明した党改憲案の年内提出に向けて今後の日程を協議しました。

出席者によると、8月上旬までに「自衛隊」の存在明記、教育無償化、大災害時に国会議員任期を延長する緊急事態条項、参院の「合区」解消を含む選挙制度の4項目を一通り議論して、同下旬から「自衛隊」明記に向けて憲法9条などの詳細な協議に入ります。

たまたまこのようなニュースを目にして、憲法改正が今後どのように行われるのかとても気になりました。

戦後70年もの間、改正されることがなかった日本国憲法ですが、改正することがいいか悪いかは別としても、そもそもその作成過程には日本の意図ではなくGHQの意図が組み込まれて作られたことは前回述べました。

それで、今度は日本国憲法の作成時だけに焦点を当てるのではなく、今のように文章化された憲法がなかった時代はどうだったのか、そして明治時代に制定された大日本帝国憲法はどのようにして作成されたのか、そもそも今の日本国憲法作成に深く関与しているアメリカの建国と憲法はどうなのかについて考えてみたいと思います。








<不文憲法(国体法)と成文憲法とは・・・>



憲法は、不文憲法と成文憲法に分類されるようで、成文憲法とは文章化されている形式的な憲法、不文憲法は文章化されていない実質的な憲法(国体)だとか。

日本国憲法、合衆国憲法など、現代においてはほとんどの憲法は成文憲法です。

18世紀の終わり頃の世界では、アメリカが合衆国憲法を制定し、その後ヨーロッパでも次々に憲法が制定されていきました。そして19世紀には、憲法を制定し、国家体制を示すことが近代国家の証となっていました。

そのうち、アメリカ合衆国憲法は、1787年9月17日に作成され、1788年に発効し、現在も機能している世界最古の成文憲法だと言われています。

一方で、イギリスには、六法全書に記載されている日本国憲法のような単一の憲法典はなく、憲法典で定められるべき事柄がマグナ・カルタや権利章典などの法律、慣習法、そして判例法によって定められています。

イギリス憲法はこれらの多様な法源から成り立っていることから、不文憲法であると言われています。

ところで、明治以降から成文憲法を採用している日本ですが、文章化されていない実質的な憲法はあるのか。

明治以降に、天皇及び皇室を中心とする国家体制が文章化された成文憲法で制定されましたが、その国家体制は文章化されてはいなかった明治以前から、もっと言うと日本建国の時から確立していることから、それは日本国家の根本的な国家体制であり、文章化されていない実質的な憲法ー国体だと言われています。







<日本の”国体”ー日本国家建国の”理念”と根本的な国家体制>



文章化されていない実質的な憲法について、それはよく日本においては「国体」という言葉で示されており、その意味は「国柄」であり、具体的にはその国がそれを失えばその国でなくなってしまうほどの特質を指しているようです。

「国体」を英語ではConstitutionと言い、一方で憲法も英語ではConstitutionと言い、どちらの意味としても、国の成り立ちや形になります。

ですから、国体について色々な意見があるけれども、私なりの言葉で表現するなら、国家の理念とか根本的な国家体制という意味に解釈できるのかなと思っています。

それで、日本国家の理念や根本的な国家体制はどんなものなのかというと、「日本書紀」の天孫降臨のところに示されている「天照大神が孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に下された3つの神勅」に見ることができます。


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・日本書記「3つの神勅」に示されている日本国家の理念

1.天壌無窮の神勅(てんじようむきゅうのしんちよく)

読み下し文
「葦原(あしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は、是れ、吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるへき地(くに)なり。
宣(よろ)しく爾(いまし)皇孫(すめみま)就(ゆ)きて治(しら)せ。
行(さまく)矣(ませ)。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさんこと、当(まさ)に天壌(あまつち)と窮(きはま)り無けむ。」

現代語訳
「秋になると稲穂が良く育つ葦原の国は、私より続く皇孫が統治しなさい。天孫が継いでいく限り、この正しい系統が栄える限り、この天と地は永遠に栄えていくことでしょう。」



2.宝鏡奉斎の神勅(ほうきようほうさいのしんちよく)

読み下し文
「吾(あ)が兒(みこ)、此の宝鏡(かがみ)を視(み)まさむこと、当(まさ)に吾(あ)れを視(み)るがごとくすべし。
興(とも)に床(ゆか)を同じくし、殿(との)を共にして、斎鏡(いはいのかかみ)と為(な)す可(べ)し。」

現代語訳
「わが子よ、この宝鏡を視(み)ることはまさに私(天照大御神)を見るのと同じにしなさい。お前の住まいと同じ床に安置し、お前の住む宮殿に安置し、祭祀をなすときの神鏡にしなさい。」



3.斎庭稲穂の神勅(ゆにはいなほのしんちよく)

読み下し文
「吾(あ)が高天原(たかまのはら)に所御(きこしめ)す斎庭(ゆには)の穂を以て、亦吾(あ)が兒(こ)に御(まか)せまつるべし。」

現代語訳
「吾が高天原に作る神聖な田の稲穂を、わが子に授けましょう。」 

稲穂がたくさん実るように、豊かな国を地上に実現することが天皇のご使命であり、日本民族の理想であることを示しています。



このような神勅ー日本国家の基本的な理念は、邇邇藝命(ニニギノミコト)が天照大神から授かり、そしてその理念が天下ってきて具体的に実現したのが邇邇藝命(ニニギノミコト)の孫・神武天皇でした。

神武天皇は、九州より大和に来られて、橿原の地に都をお開きになり、天皇に即位されました。

そして、神武天皇による国御即位の詔(みことのり)には、次のような内容が示されています。


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・神武天皇建国の詔に示されている日本国家建国の理念

「...夫(そ)れ大人(ひじり)の制(のり)を立て、義(ことわり)必ず時に随う。苟(いやしく)も民に利有(くぼさあ)らば、何(いか)にぞ聖造(ひじりのわざ)に妨(たが)わん。且(ま)た当(まさ)に山林(やまばやし)を披(ひら)き払い宮室(おおみや)を経営(おさめつく)りて、恭(つつし)みて宝位(たかみくら)に臨み、以て元元(おおみたから)を鎮むべし。上(かみ)は即(すなわ)ち乾霊(あまつかみ)の国を授けたまう徳(うつくしび)に答え、下は皇孫(すめみま)、正しきを養いたまう心(みこころ)を弘めん。然(しか)して後に六合(りくごう)を兼ねて以て都を開き、八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)と為(せ)んこと、亦可(またよ)からずや。」

「天照大神から連綿とつづく神の子としての自覚をもち、時代に応じて最も民意を反映した政治を行います。人々の利益にかなう政治を行うことは、聖徳の天皇政治の妨げにはならないでしょう。
まさに山林を開き払い、宮室を造って、謹んで尊い位につき、国民(元元:おおみたから)が安心して暮らせる国をつくり治めよう。
上は天津神より国をお授け下さった御徳に応え、下は皇孫の正義を育てるための心を広めよう。
その後、国中を一つにして都を開き、天の下を覆いて一つの家とする事は、また良い事ではないか。」



前半には、天皇の政治は、国民を大切にすることを統治の根本とした民主政治であること、また後半には、「上(かみ)は即(すなわ)ち乾霊(あまつかみ)の国を授けたまう」とあるように、武力で先住民を制圧したのではなく、天の大神より国を委託されたという謙虚な気持ちが表わされています。



この神武天皇の建国の詔にあるように、「国民を大切にすることを統治の根本とした天皇政治」で思い出されるのは、仁徳天皇のお話です。

仁徳天皇は当時の日本国民が貧しくなっているのを見られて、三年間租税を免除し、皇居が朽ちて所々がぼろぼろになって雨漏りしても、それを補修し給うことさえ遠慮せられました。

そして、三年目に高殿に登り給うて眼下に街(まち)を見渡されると、各家の煙突からは煙が立ち騰(のぼ)っている有様を見て、国民の経済状態は復興したことを知り、皇后さまを顧みて、「朕は富めり」と仰せられ、次のような歌をお読みになりました。

高き屋にのぼりて見れば煙たつ  民の窯(かまど)賑ひにけり

天皇は自已が貧しくても、国民が裕かであれば、「朕は富めり」であらせられるーこれが神武天皇の建国の詔にある「国民を大切にすることを統治の根本とした天皇政治」であるのでしょう。





・武家時代ですら守られてきた日本国家の理念

このように、天皇を中心とした国家体制は、明治以降、文章化された成文憲法で制定されましたが、その国家体制は明治以前には文章化されてはいなかったけれども、日本建国の時から確立していました。

例えば、武家時代において、その政治をする権利は天皇から授かる神聖なものと考えられていたので、征夷大将軍になるのも関政太政大臣になるのも天皇によって任命され、そうした政権を獲った武家でさえ武家が政治を行いながらも、天皇を中心とした国家体制を破壊しようとは考えてはいませんでした。

平家、鎌倉、足利幕府、徳川幕府も、天皇からの政治をする権利を委託されて、その中で武家同士の政権争いはあっても、究極のところではそれぞれの武家が日本書紀にあるような日本国家の理念を護ってきたことが見えてくるかと思います。

このように、「国体」とは日本国家の基本的な理念や国家体制であり、そして日本はどんな国の理念なのかというと、日本書紀に示されている神勅と神武天皇の建国の詔から見ることができるように、天皇を中心とした君民一致の国家理念であると解釈できるかと思います。







<日本国家の理念を踏まえた上で作られた明治憲法>

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日本建国の時から確立している日本国家の理念や根本的な国家体制が、文章化された成文憲法で示されたのは明治以降でした。

幕末の1867年、15代将軍・徳川慶喜が政治を行う権利を天皇に返上し、王政復古の令が出され、明治政権が発足しました。

明治元年(1868年)4月6日、明治天皇は紫宸殿に公卿諸侯を集め、五箇条の御誓文で政治の方針を示しました。

明治22年(1889年)2月11日には、明治天皇によって大日本帝国憲法が発布され、国民に公表されました。

この憲法はアジアで初となる近代的憲法であり、天皇(君主)のもと、憲法に従って国を運営していくという立憲君主制という特徴を持っています。

軍隊の統帥権、陸海軍を動かす権利、その他にも文武官の任免権、宣戦・講和、議会の解散、緊急勅令の発布、条約締結、戒厳令など、天皇は天皇大権と呼ばれる権利を持っていました。

例えば、戒厳令は戦争やクーデターなどが起こった場合に、議会の議決や閣議決定をすることなく、軍隊で早い判断で対処することができるように組み込まれていました。





この明治憲法は、どのようにして作成されたのでしょうか。

1881年、伊藤博文は憲法を作るように命じられ、1882年、政府の中枢にいた伊藤博文たちは近代国家の憲法や制度を研究するためヨーロッパへ向かいました。

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最大の目的は、政府が近代化のモデルとしていたドイツの立憲君主制の調査でした。

明治政府の憲法草案は、明治19(1886)年から、ドイツ人顧問のロエスレルらの助言を得て、伊藤博文(いとうひろぶみ)を中心に井上毅(いのうえこわし)・伊東巳代治(いとうみよじ)・金子堅太郎(かねこけんたろう)らにより作成されました。

明治20(1887)年には、神奈川県金沢の旅館や神奈川県夏島にある伊藤の別荘など場所を変え、憲法草案の検討が重ねられました。

明治21(1888)年からは、天皇を助けて憲法を作成する「枢密院(すうみついん)」という会議で、天皇臨席の下で審議されました。

こうして何年もの歳月をかけて出来上がった「大日本帝国憲法」は、明治22(1889)年2月11日、皇居での発布式で、天皇が内閣総理大臣の黒田清隆(くろだきよたか)に授ける形で出されました。

なぜ天皇が内閣総理大臣の黒田清隆(くろだきよたか)に授ける形で出されたのかというと、大日本帝国憲法は「欽定憲法(きんていけんぽう)」であり、それは制定権が天皇にあり、天皇の発議によって制定されて、国民に与えたという意味です。

また、当時、1877年から帝国大学(国立大学)が設置されたのですが、大日本帝国憲法を作るにあたって研究・作成に携わった伊藤博文は吉田松陰の松下村塾出身であったこと、それ以外の方も大学を出ていないことから、大学を出る・出ないはあまり関係ないということを意味しているのかなとも思いました。





・明治憲法に示されている「日本建国の理念」

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日本書紀には日本建国の理念が、「葦原(あしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は、是れ、吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるへき地(くに)なり」、「天の大神より国を委託された」と示されています。

その理念は、明治憲法においては第一条に、「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」と明確に表現されています。



そして、明治天皇による大日本帝国憲法発布の勅語が、明治憲法の前文に次のように示されています。

「玆ニ大憲ヲ制定シ朕カ率由スル所ヲ示シ朕カ後嗣及臣民及臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行スル所ヲ知ラシム
國家統治ノ大權ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ傳フル所ナリ朕及朕カ子孫ハ將來此ノ憲法ノ條章ニ循ヒ之ヲ行フコトヲ愆ラサルヘシ」

(訳)ここに大いなる憲法を制定して、朕に従ってくれることを示し、朕の子孫および臣民とまたその子孫によって永遠にこの憲法に従い実行してくれることを知らしめる。
国家を統治する大権は朕がこれを祖宗より受け継ぎ、また子孫へと伝えていくものである。朕および朕の子孫は将来、この憲法の条文に従って政治を行うことを誤ってはならない。」



このように、勅語には、「国家を統治する大権は朕がこれを祖宗より受け継ぎ、また子孫へと伝えていくものである」、「將來この憲法の條章に循ひ之を行ふこと」とあるように、この憲法は永遠に子々孫々に循行されなければならないと示されています。

そこで、憲法改正のことを定めた明治憲法の第73条には、「将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ」とありますが、本来なら憲法の条項改正は明治憲法の第1条「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」、第3条「天皇ハ神聖(しんせい)ニシテ侵ス(おかす)ヘカラス(べからず)」を前提としているはずでしょう。





・ソ連が日本でもロシア革命を起こすために、日本の新憲法に罠を仕掛けた

しかし、戦後の新憲法に変更されてからはどうなったのかというと、日本国憲法の第1条には「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と変更されています。

これは、当時の天皇制を護持したい人たちが納得するように、天皇象徴によって天皇制を残したように見せかけてはいます。

でも、日本国憲法の第96条によると、「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」とあることを踏まえると、当時であればソ連と繋がっている左翼の議員3分の2以上の賛成を得て、第1条を改正することによって天皇制を廃止しようという”罠”が組み込まれているのではないでしょうか。

アメリカが急に日本を占領したからといって、このようによく考えられた罠が組み込まれた憲法を、アメリカのGHQがたった一週間で作成できるはずがないと思います。

1927年(昭和2年)、ソ連のコミンテルンは日本共産党に27年テーゼというものを出していたのですが、それはソ連がロマノフ王朝を倒すことによって共産党一党独裁の国になったように、日本で革命を起こすためにも天皇制廃止が必要だとして命令していたのだそうです。

しかし、そうした命令を受け入れがたい日本共産党員は脱退したそうですから、天皇制をすぐに廃止にすることはできないと考えたソ連のコミンテルンは、第二次世界大戦で日本が負けた後、敗戦直後にどのようにして支配下に入れていくのがいいかについてずっと考えていたのかもしれないと思います。

そして、日本国憲法の草案を作成したとされるGHQの民政局の中には、ソ連のコミンテルンのスパイも入っていたことから、今の憲法の基本になっているマッカーサー草案がおよそ1週間できたのは、ソ連が長年考えた罠をソ連のスパイがマッカーサー草案に盛り込んだからではないかと思いました。

また、ソ連のコミンテルンのスパイがGHQの民政局と共にマッカーサー草案を作る過程において、ソ連が長年考えた罠を憲法に仕掛けつつ、アメリカが作成したと見せかけるためにアメリカの国民主権論を取り入れることで、自分たちの罠を隠ぺいしたのだと思いました。

そうした点で今の日本国憲法は、ロマノフ王朝を倒して帝政ロシアを共産党の国にしたソ連が、日本で革命を起こすためにも帝政ロシアと同じく天皇制廃止が必要だと考えて、次第に天皇制を廃止に追い込んでいくための罠が、ロシア革命を日本でも起こそうと企んでいた(る)コミンテルンの罠が仕掛けられた憲法なのだと思い、愕然としました。







<現行憲法を作ったアメリカの建国と憲法>



ソ連のコミンテルンのスパイがGHQの民政局と共にマッカーサー草案を作る中で、ソ連が長年考えた日本への罠を憲法に仕掛ける一方で、全体的にはアメリカの国民主権論を取り入れることで、ソ連ではなくアメリカが作成したと見せかけています。

それで、日本国憲法にはアメリカの国民主権論も取り入れられているので、そもそもアメリカの建国はどうなのか気になるところです。

それを知ると、アメリカには国民主権論が合うけれども、一方で日本の建国から考えるなら、日本には合っていないのではないかという点が見えてくるかもしれません。


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アメリカには先住民インディアンが暮らしていて、元々ヨーロッパ人はいなかったけれども、1600年代からの大航海時代によりヨーロッパの国々が次々にアメリカへと渡ってきました。

そして、1600年代からアメリカにイギリス入植者の数が急増し、インディアンは土地や資源が次々と奪われていったようで、次第にインディアンと白人が激しく抵抗するようになったようです。

白人の入植地を襲撃し、その報復として白人によるインディアンの虐殺が繰り返され、インディアンは次第に西に追いやられていきました。

海を渡ってきたヨーロッパ人と共存しようとしていたインディアンの部族も多かったそうですが、ヨーロッパの人々は新しい豊かな土地を自分たちの土地にしようと、そうした武力でもってインディアンを抑え込んでいきました。

そのヨーロッパの国々の中でも、アメリカの地をほぼ手中に収めたのがイギリスでした。

東部に入植したイギリス人はヴァージニアでのタバコ栽培をインディアンから学ぶなど、当初は友好的であったが、プランテーションを開拓していくうちに次第に利害が対立するようになったとか。

また当初はインディアンを労働力としようとしたけれども、インディアンがイギリス人に戦闘的な姿勢をとったことで、アフリカの黒人を奴隷として労働力にしたのだそう。

イギリス人を中心とした入植者は、プランテーションを拡大することによって、イギリス人に抵抗していたインディアンを武力で排除していき、ついに東海岸に13の植民地を建設しました。

東部の人口が増えると、アパラチア山脈を越えた西部でもインディアンの土地を奪い取っていったので、インディアンとの衝突が各地で起こるようになりました。

そして、イギリスからの移住者によって建設された東海岸に13の植民地は、それぞれ議会を設けて自治を行っていました。

そうした中、18世紀後半、フランスとのフレンチ・インディアン戦争で多くの負債を抱えたイギリスは、アメリカに渡ったイギリス人から税金をとることで、使った金を回収しようとしました。

そこで、イギリスはアメリカに渡ったイギリス人が建設した植民地に対して、その植民地に輸入するものに高い関税をかけたのですが、植民地側はこれに反発しました。

1774年には植民地の代表らが集まって大陸会議を開き、イギリスに対して通商断絶と課税拒否を抗議しましたが、イギリスがこれを無視したので、1775年、アメリカとイギリスはついに武力衝突しました。(アメリカ独立戦争)

1776年の第2回大陸会議では、ジェファソンによって起草されたアメリカ独立宣言が全会一致で採決されました。

その独立宣言は、すべて平等な権利を持つ人間が、イギリスによる植民地支配という圧政から逃れるために新しい政府を造ることを表明しています。

翌年の1777年には、13植民地が連合してイギリスからの独立戦争に対抗するために、大陸会議はアメリカ連合規約を制定し、13植民地の承認を得て、アメリカ合衆国を成立しました。

アメリカ連合規約は、後の87年にアメリカ合衆国憲法の発効されるまでの8年間、アメリカ最高の法規でした。

そして、1775年から始まった独立戦争は、アメリカにとって苦戦だったそうですが、フランスなどがアメリカを援助したことで、戦局は逆転して、1783年9月のパリ講和条約でによって終結しました。

1783年、アメリカ独立戦争の講和条約で、イギリスが合衆国の独立を承認しました。

1787年には、人民主権、連邦主義、三権分立を制定したアメリカ合衆国憲法が制定され、憲法の規定に従って選挙が行われた結果、89年にジョージ・ワシントンを初代大統領とする連邦政府が成立しました。







このように、イギリスからアメリカに入植してきた人たちは、植民地を建設して、それぞれが自治を行っていたけれども、イギリス本国はアメリカに入植した人たちに課税強化を行いました。

入植者たちはそうしたイギリス本国の支配から脱するために、武力による暴動を起こして、ジェファーソンが想起した国民主権を宣言して、イギリス国王の権威を否定して、イギリスからの独立を勝ち取ったというアメリカ建国の精神がアメリカの憲法の根本にあります。

一方で日本はというと・・・

まず、日本書紀の天孫降臨のところにあるように、太陽神・天照大神から孫のニニギノミコトに次のような神勅が示されました。

「秋になると稲穂が良く育つ葦原の国は、私より続く皇孫が統治しなさい。天孫が継いでいく限り、この正しい系統が栄える限り、この天と地は永遠に栄えていくことでしょう。」、「吾が高天原に作る神聖な田の稲穂を、わが子に授けましょう。」 

邇邇藝命(ニニギノミコト)の孫・神武天皇は、このようにな神勅ー日本国家の基本的な理念を天照大神より授かり、稲穂がたくさん実るように豊かな国を地上に実現するために、九州より大和に来られました。

そして、神武天皇が来られる前に各地方で分立していた共同体勢力は、神武天皇が太陽神・天照大御神の顕現であることを認めることによって、日本が統一されていったとされています。

このように、アメリカと日本の建国に違いがあることは、とても興味深いと思います。

また、今の憲法を作る過程ではGHQだけではなくソ連のコミンテルンが入っていたことから、ソ連がロマノフ王朝を倒して、帝政ロシアからソ連という国に変えた一連のロシア革命という出来事のように、いずれ日本でもロシア革命と同じことを起こすための罠が仕掛けられていたこと、そしてアメリカの国民主権論を取り入れることでソ連の罠を隠ぺいしたのだと深く考えてみることは、憲法改正するよりも重要なことだと思います。









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ソ連の罠が仕掛けられた今の憲法と、日本の建国理念を踏まえて作成された明治憲法の違いとは? もも先生のお料理と時事問題/BIGLOBEウェブリブログ
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