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zoom RSS マインドコントロールによる事件から見える、現憲法の欠点と明治憲法のよく考えられた良い点

<<   作成日時 : 2017/08/25 23:01   >>

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戦後、連合国総司令部(GHQ)は、日本を民主国家にするためとして、日本の憲法と皇室の改革を行いました。

戦争に伴う法規ハーグ条約には、「国の権力が事実上占領者の手に移りたる上は、占領者は、絶対的の支障なき限、占領地の現行法律を尊重して、成るべく公共の秩序及生活を回復確保する為、施し得べき一切の手段を尽すべし敵国の領土における軍の権力」と定められています。

しかし、日本国憲法は、天皇・政府・議会が自由意志を持っていない占領下で作られました。

ですから、「占領者は絶対的の支障なき限り、占領地の現行法律を尊重」するとなっているので、憲法と皇室典範の改正はGHQが日本の意志にも国際条約にも反して強行した不当なものであったことが明瞭であると言われています。

また、ポツダム宣言12条「政府形態を選択する人民の権利」、大西洋憲章「前記諸目的カ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ」を見ても、憲法改正の支持はどこにも見受けられません。

さらには、サンフランシスコ平和条約終結によって占領行政が終結したのですから、占領期間中に制定された新憲法は「無効」になったという解釈が「日本国憲法無効論」です。

このように、日本国憲法作成は国際法違反を起こしているにもかかわらず、それは全くなかったかのように置き去りにされて、憲法改正の議論ばかりが広がる現在ですが、戦後すぐの頃には日本国憲法無効論についてよく議論されていたのだそう。

国会の3分の2以上の賛成、有権者の2分の1以上の賛成で憲法改正を行うと、現行憲法は占領期間中に制定されたものだから無効ということにはならず、私たち日本人自身がこの憲法を認めてしまうという視点も踏まえて、憲法改正を考えることが必要なんだろうなと最近思っています。

それで、よく憲法で問題視されるのは1条とか9条ですが、もっと注目するべき条項はたくさんあるのではないかと思いましたので、今回は日本国憲法になってから起きた「マインドコントロールによる事件」を取り上ることで、現憲法の欠点、さらには明治憲法のよく考えられた良い点を比べてみたいと思います。








<X JAPANのToshl(トシ)の洗脳騒動の場合>

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1989年にメジャーデビューをし、90年代に人気を博したロックバンド・X JAPAN。

このX JAPANのToshl(トシ)さんが、12年間或るセミナー団体による洗脳生活を送っていたことは、報道などによって広く知られているのではないかと思います。

デビューして順調に歌手活動をしていたトシさん(当時27歳)は、92年のソロ活動を機に個人事務所を設立して、三人兄弟の一番上の兄を社長に据えました。

しかし、社長業を疎かにして、トシさんのギャラを使うようになると、その額は莫大なものとなり、トシさんだけではなくX JAPANにも多大な迷惑をかけているということで、トシさんIは長兄を解任しました。

同じ頃、トシさんの母がトシさんの実家を訪れたX JAPANのファンを招き入れて、トシさんだけではなく幼馴染のヨシキさんの少期の写真やビデオを無断で見せて、それでファンからお金を貰ったという噂をトシさんは耳にしたそうです。

さらに、長兄の代わりに信用できる友人に社長業を頼んだけれども、不正経理などの金銭トラブルが発覚し、揉めてしまいました。

こうしたトラブルで、その謝罪に追われることになり、日々関係者に平謝りを続けるといったことが続いていました。

もともとの家族仲や友人付き合いは悪いほうではなかったけれども、家族や身近な人への不信を抱えるようになっていきました。

こうして孤独に感じていたトシさんは、93年、彼が主役を務めるロックオペラのヒロイン役を決めるためのオーディションが行われました。

そこでトシさんの恋人役で決まった守谷香は、トシが後に洗脳されて、何億ものお金を奪わるきっかけとなるセミナーに誘った人でした。

守谷香とは舞台での共演後も、友人としての関係が続いていたそうで、守谷香は当時ロサンゼルスに住んでいたトシさんに色々な言葉を書いた手紙を毎日のように送っていたそうです。

94年に帰国して再開してからも、守谷香は涙を流しながら、「死ぬときは手と手を取り合っていきましょう」といった言葉を書いた短冊100本も送ったそうで、孤独だったトシさんはそういう言葉に引っかかってしまい、ほどなくして二人は付き合うようになったそうです。

95年、X JAPANは海外進出を目指していたことから、トシさんはヨシキさんから英語で歌うためのネイティブの発音やより高い表現力が要求さていました。

ヨシキさんが思い描く通りにできないと思い悩むトシさんに、守谷香は色々な装飾を捨ててありのままでいけばいいと言い、そして96年の全国ツアーではビジュアル系ロックバンドでありながら、メイクも何もせずに守谷香が言われるがままに歌っていたのでした。

この時、トシさんが洗脳されて、大きな騒動になるとは世間の誰もが思っていなかったのだそう。

或る時、守谷香は自分が好きだというCDをかけて、この曲を聞くと自然に涙が出るのと言い、X JAPANなんてやめて、家族とも縁を切ればいい、これからは人を癒す音楽を歌えばいい、お兄さんもお母さんもトシさんをさんを利用してきただけだと感情的にまくしたてたという。

後に分かったことによると、彼女がかけていたCDは、トシさんを洗脳する団体が作ったCDだったそうで、そんなことには気付かないまま、トシさんにとっては守谷香だけが信用できる人になっていきました。

97年、トシさんが守谷香と結婚すると、その2か月後にはトシさんは守谷香からのアドバイスに従い、ついにX JAPANをメンバーに脱退を告げバました。

当時ギターを担当していたヒデからは、”ボーカルがいなくなったらどうなるんだ、X JAPANはトシだけの人生ではなくで、みんなの未来でもあるんだよ”と言われたいたそうですが、この頃のトシさんはX JAPANの未来までは考えられない、自分のことしか考えられない心境だったそうで、ついにX JAPANを脱退してしまいました。

こうして、トシさんは、バンドの仲間や家族といった一番身近な人たちとの関係を断絶することになり、その後、12年間の洗脳の日々に入っていきました。

XJAPANを脱退した後、トシさんは守谷香に誘われて、都内にある洋館の地下室で開かれるという特別なコンサートに連れていかれました。

しばらくすると、その場所にMASAYAという自称ミュージシャンが現れました。

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後にトシさんを洗脳するセミナー団体の主催者だったのですが、この時にはトシさんは団体について何も知らされていなかったそうです。

MASAYAが歌いだすと、集められていた10人程の人たちが涙を流し出したようで、その光景を見たトシさんは「なんでみんな泣いているんだろう、なんか変な宗教じゃないのかと頭によぎった。」と言っています。

数日後、セミナーの説明会が行われるという連絡が入ったけれども、その日トシさんは39度の熱で苦しんでいたにもかかわらず、守谷香は今日行かないとだめと言い、セミナーの説明会の会場へと向かうことになりました。

セミナー会場に着くと、そこのスタッフと守谷香からしつような説得を受けて、39度の熱で意識が朦朧とする中でトシさんはセミナーの申込用紙にサインをしてしまい、妻の分も含めた14万円を支払ってしまいました。

「一番大きいのは、元妻の存在だと思います。彼女が積極的に行こうと言いました。僕はある種人から見られる仕事をしているので、あまりそういうのに関わったらまずいんじゃないかなというのは、どこかにはありました。だけれども、そういう疑いを言葉巧みに外していったので、そういうのに釣られて行ってしまったのかなと思っています。」

この頃、X JAPANは解散を発表した一方で、解散を発表してから5日後、トシさんは守谷香とセミナーに参加しました。

トシさんが参加したセミナーの内容はどういうものだったのか。

一日目のセミナーでは、しばらくすると会場にMASAYAが現れて、これから10分間好きにしてくださいと言って立ち去ると、周りは俯いていたけれども、トシさんはどうしていいか分からず周りをきょろきょろ見ていたそうです。

すると10分後、MASAYAは、この10分間に何がありましたか?それがあなたの人生です。周りの様子ばかり気になった人はいませんんか、何をすればいいのか不安に感じた人、それがあなたの人生だと言ったそうです。

トシさんは”確かにそうだな、周りのことを伺っていたな、当たっている或は俺の人生ってそんなものだったんだな”と思って、興味を沸いていった一方で、一斉にすすり泣きするセミナー参加者の過敏すぎる反応を怪しいとも思っていたそうです。

次に、出会いの実習というものをしたそうで、部屋を歩き回って、他の誰かと無言で出会って、その相手に対してどう感じたのかを「近づきにくいです・近づきやすいです・よくわからないです」から選んで伝えるというものだったそうです。

トシさんは出会ったほぼ全員から「近づきにくいです」と言われた上に、トシさんが妻・守谷香に「近づきやすいです」と言うと、妻からもよくわからないと言われたそうです。

MASAYAは「自分が”近づきやすいです”と言われたくて、相手にも”近づきやすいです”と言った人はいませんか?」と人の心を見透かしたようなことを言い、これに対しトシさんはますます興味を惹かれていきました。

後に分かったことによると、セミナーに参加していたトシさん以外の参加者全員がセミナー団体のスタッフであり、トシさん曰く、妻の立ち位置はスタッフのようだったそうです。

二日目のセミナーでは、参加者それぞれが過去の体験談を告白し合うシェアーという工程があったそうで、これはセミナー参加者が順番に幼少期に受けた悲しい・苦しい経験を告白し合い、その内容が酷ければ酷い程、セミナー主催者MASAYAに気に入られるという何とも奇妙なものだったそうです。

トシさんは過去の何気ない体験を話しただけだけれども、MASAYAは違う意味に摩り替えていったそうで、そうすることで過去の体験を歪められていき、次第にひどい親だったなと思うようになったそうです。

でも、トシさんが言うように、セミナー参加者は全員が団体側の仕込みであることから、セミナー参加者の体験談も嘘だったのかなと思いました。

次はセラピーというプロセスを体験したそうで、この団体のセラピーはというと、自分の内面にある恨みや怒りを体で表現し、丸めたマットレスを両親や家族だと思いながら殴りつけるのだそうです。

次はフィードバックという罵倒と暴力を受けることが伴うものだそうで、「本当はきついことも言いたくないけれども、本当のことを言って、あなたの本質に気づかせるため」と徹底的に言われた後、暴力を受けながら、自分のコンプレックスなど様々な罵倒を受けたそうで、と元妻・守谷香もこの罵倒に参加していることはトシさんにとってはショックだったそうでうす。

こうして、この団体のセミナーでのマインドコントロールによって過去の記憶が歪められて、家族に対する憎悪が刷り込まれていき、トシさんは「すべて親が悪い」と思い、関係を断たれていたという。

その後も、この団体の一回数十万円もするセミナーに通い続け、トシさんは月の収入とX JAPAN時代に貯めていた貯えの全てをセミナーにつぎ込み、守谷香と結婚してわずか10か月で所持金が底をついていきました。

団体のCD広報活動のためにCDショップに飛び込み営業に出かけ、 全国各地でMASAYAが作曲した曲を歌い、ドサ周り営業もさせられていました。

その会場でCDを販売し、売り上げのほとんどが団体に取られてしまい、トシさんに残ったのはわずかな生活費だけ。

さらには、結婚していた守谷香はMASAYAと共同生活をし、離れて生活する日々を送り、この生活が約12年続いた。

洗脳がとけたきっかけそれは、「X JAPAN」再結成で、2006年9月、「X JAPAN」再結成をしないかという音楽事務所からトシさんが所属する団体に相談が持ち掛けられたことでした。

その金額は3億円で、MASAYAはその金額に目がくらみ、再結成するように仕向けるました

それまでトシさんは、「X JAPANは悪」ということを刷り込まれていたのに、今度は「X JAPAN」を再結成しろと話が変わったことに初めて団体に不信感を抱くことになりました。

これによってMASAYAに不信感を募らせていき、これまでにも繰り返されていた守谷香への現金手渡しの際にも、初めて反抗する行為に出たけれども、MASAYAから酷い暴力を受けたことで、逃亡を考えるようになりました。

ついに、X JAPAN再結成のためのレコーディングの日に逃亡しようと決意、レコーディングの前日から逃げ出し、携帯電話に入る守谷香とMASAYAからの電話を無視していたけれども、どこで情報を掴んだのかレコーディング終了後に待ち伏せしていた守谷香と団体幹部らにそのまま拉致されてしまいました。

その後、数時間の暴力を受け、精神的にストレスがどんどん増していった中で、別の日、イベント会場のリハーサルで倒れてしまい、イベント会場の責任者によって病院に運ばれました。

病院で付き添ってくれたイベント会場の責任者はトシさんに対し「奥さんにも連絡した」と言ったけれども、トシさんが周囲の人に暴力を受けていることを告げ、そのまま逃げようとしたところ、そのイベント責任者が知り合いに警察関係者がいるというので、そこでかくまってもらい、何とか逃亡に成功することになりました。

そして、2009年10月、セミナー主催者MASAYAと守谷香と団体関係者らに対し、訣別の意を述べた文章を送り、正式に洗脳生活からようやく抜け出すことができました。

また、その後、離婚した守谷香についてトシさんは次のように述べています。

「10年前から、実質的には夫婦ではありませんでした。
仕事場でごくたまに会う以外、守谷香氏(妻)の生活は実際のところまったく知りません。
守谷香氏は、私との家庭生活よりもMASAYA氏と共に暮らすことを選び、これまで毎日、現在に至るまで10年間、那須で生活しています。
私は、東京都港区芝にあるマンションの小さな部屋で、一人で暮らしてきました。
この度、形ばかりとなっていた守谷香氏(妻)との婚姻関係を解消するため、妻に対する離婚調停を申し立てました。
実際はそうではないのに、守谷香氏のブログで、二人で仲良く暮らしているかのような嘘の文章を掲載されたり、デュエットなどの活動を押し付けられていた、すべての偽りが精神的な極度の疲労となっていました。」





このホームオブハートという自己啓発セミナー系のカルト団体で、トシさんは12年もの間、働いて得たお金の全てを守谷香やホームオブハートに渡し、莫大な税金と借金が課せられた被害者でもある一方で、このホームオブハートの広告塔としてセミナー生を積極的に勧誘してきた加害者でもあるそうです。

ホームオブハートの悪質な部分は、被害者に勧誘させて新たな被害者を作り、被害者も加害者の立場にしてしまうところだそうで、同団体から逃げてきた人のほとんどが、トシさんも含め、借金まみれになり自己破産せざる得ない状態になっているのが実情だったそうです。

今の現行第20条では、

1 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

とありますが、参加することを強制されないとあるけれども、マインドコントロールされておかしな怪しい団体に参加させられた場合でも、自分から行ったということで信教の自由と言えるのかなぁ。

例えば、催眠術が流行り、催眠術を悪用した事件も起きた明治・大正時代の明治憲法第28条には、「日本臣民は、安寧秩序を妨げず、かつ、臣民としての義務に背かない限りにおいて、信教の自由を有する。」とあります。

現行憲法では信教の自由が何人に対しても保障されているというのはいいことなのかもしれませんが、次の被害者を出すホームオブハートのような団体があることを踏まえれば、明治憲法第28条にあるように周りとの秩序も考えた上での信教の自由が望ましいのかなと思い、この明治憲法を作成した人たちにも深い知恵があってのことだったのかなとも思います。







<北九州一家監禁事件の場合>

2017年6月9日(金)、フジテレビ系列・金曜プレミアム「追跡!平成オンナの大事件」という番組が放送されました。

女たちが起こした残虐な事件や突如巻き込まれてしまうあの事件をその背景と悲哀とともに徹底取材をし、その真相を探っているとかで、その中で「北九州連続監禁殺人事件」が取り上げられていました。

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この事件はちょっと複雑で簡単に説明しづらいので、その概要をWikipediaから拝借すると、『人の弱みにつけこんで監禁をして金を巻き上げ、マインドコントロール下に置き、お互いの不満をぶちまけさせて相互不信を起こして逆らえなくし、被害者同士で虐待をさせることで相互不信を一層深くさせ、自分の手は汚さず、犯罪史上稀に見る凶悪犯罪とされ、第一審で検察側は「鬼畜の所業」と松永太と緒方純子を厳しく非難した。』とあります。

2002年3月6日、福岡県北九州市小倉北区のマンションで監禁されていたA子(当時17)が祖父に助けを求めたことで、事件が発覚したそうです。

事件を起こした中心人物・松永太と緒方純子の関わり方、そして監禁事件が起きた経緯をざっと見てみたいと思います。





・松永太が緒方純子に近づいた経緯とその後

「北九州連続監殺人事件」の犯人・松永太は畳屋を営む両親の元に生まれ、高校卒業後は父親の営む布団販売業を手伝うかたわら、19歳で結婚、翌年には子供を設ける。

その後、訪問販売で粗悪品の布団を売る詐欺まがいの会社を設立し経営し始めた。

一方、緒方純子の生い立ちは、1962年2月、福岡県久留米市生まれで、緒方被告の実家は土地をかなり所有する裕福な農家で、地元ではかなり由緒ある家柄だった。

彼女が通った高校は松永と同じだったが、松永が途中で退学処分になったため、ほとんど面識がなかったという。

高校を卒業後、県内の短大へ進学すると、短大の一年頃、ほとんど面識がなかったはずの松永から突然、電話がかかってくる。

松永は緒方に、高校の時に借りていたお金を返したいから言い、純子は断り切れずに、喫茶店で会うことになった。

そして、会ってみると、松永は高校の卒業アルバムを見て、電話したくなったと言い、純子を口説き始めたけれども、この日はこれで終わった。

卒業してから久留米市で幼稚園の先生になって半年ほど経った頃、緒方の元に再び松永から突然電話がかかってきた。

その後、緒方が20歳の時、仕事の悩みを親身になって聞いてくれる松永に徐々に心を許し、数回会う内に交際が始まったという。

松永と交際が始まったといっても、当時松永には妻がいた。

緒方は恋愛に溺れてはいけないと思い、いずれは養子を迎えて家を継がなければならないことも自覚していたが、不倫関係に後ろめたさを感じつつも、次第に純子は松永にのめり込んでいってしまう。

純子の両親に松永との交際が発覚し反対されるが、松永は純子の両親と何度も会い、好青年を演じ、次第に両親は松永に好印象を抱くまでになってしまった。

そして、松永は「婚約確認書」を提出して、いずれは妻と別れて婿養子になることを約束した。



この頃から、松永の純子に対する態度に変化が出てきた。

「自分は音楽の才能があって、東京の事務所からスカウトされたのに、緒方家に養子に入らないといけないから、断ったんだぞ」と、松永は頻繁に純子が負い目を感じるような言葉を口走るようになった。

さらに、純子が男友達の話を口にしただけで、松永は純子を責めることを言うようになり、次第に暴言や罵倒だけではなく、純子に暴力をふるい始めた。

暴言や罵倒を言われ、激しい暴力を振るわれ、肉体的、精神的に追い詰められているにもかかわらず、なぜ純子は松永から逃げなかったのか。

本人が法廷で発言した証言によると、最初は自分には何も悪いところはないと思っていたが、 松永から何度も責められるうちに、自分が悪いかもしれないと思うようになったのだとか。

純子は松永に信用してもらいたかったそうで、そんな純子に松永は右胸にタバコで焼印を、太腿の付け根に「太」という刺青をそれぞれ入れさせることを強要した。

そうして、純子は初めの頃には何も悪いと思っていなかったのにもかかわらず、頻繁に責められるうちに、松永に信用してもらえない自分が悪いのだとマインドコントロールされていった。



そして、緒方が松永と不倫関係になって3年後の23歳の時、純子は幼稚園を辞めて、松永が営む布団販売業ワールドで住み込みで働くことになった。

そこでは、成績の悪い従業員には暴力をふるうなどの行為が行われていた。

どのような暴力だったかというと、松永はよく通電を行っていたそうで、松永の機嫌を損ねた社員や売り上げの成績の悪い社員に対して行われた。

すると、社員らは通電から身を守るために、同僚の失敗を松永に報告するようになった。

やがて、社員らが暴力に耐えきれずに逃げ出し、売り上げも上がらない上に、同じように暴力を振るわれていた松永の妻が松永から逃げ出し、被害届を提出、そして平成4(1992)年に離婚が成立した。



会社が傾き始めると、純子は松永の命令で親族や知人から金を騙し取るようになり、松永の会社で粗悪品の布団を高額で売りつけるために行った脅迫・詐欺の容疑で指名手配され、二人は逃亡する。

平成5(1993)年、純子は松永との間に男子を出産し、二人は北九州市の小倉に身を潜めたが、逃亡生活で金に困った2人は元社員の親から送金させていた。

その元社員の親が検察に提出した証拠書類によると、元社員の母親は松永に1億4千万円ものお金を送金したそうで、検察側から「なぜ1億という大金がこの家にあるんですか」と聞かれて、夫が亡くなったことで入ってきた保険金や貯めてあった貯金があったからだという。

この元社員は隙を見つけて、松永から逃げ出した。



元社員が逃げ出した後、松永が次のターゲットに選んだのは、小倉のマンションを仲介してくれた不動産会社の
営業マン・虎谷久美雄(34)だったが、この虎谷は事件発覚のきっかけとなったA子の父親である。

松永は偽名を使い、一流のメーカーで働くエンジニアだと偽って、投資話が好きだった虎谷に競馬予想ビジネスを持ちかけ近づき親しくなっていく。

松永に取り込まれた虎谷は、ある日突然、内縁の妻と別居し、まだ当時8歳だったA子を連れて、彼らと共同生活を始めた。

松永は虎谷を持ち上げることで気分を良くさせ、「不動産屋で退去した部屋の消毒を行わず、代金を着服した」過去を 聞き出すと、これをきっかけに執拗に責め立てるようになった。

そして、松永は虎谷が金の工面をできなくなると、通電などの暴力を振るった。

虎谷は、毎日のように虐待を受けながら、知り合いや消費者金融などから借金をさせられ、その金を松永へ貢いでいくことになった。
こうして衰弱していった虎谷、平成8(1996)年2月に34歳で死亡した。

虎谷久美雄が「(松永と)コンピュータを使って競馬の予想をビジネスにする」など松永を尊敬する態度を見て「お前、騙されとるんじゃ」とたしなめている。



松永が次の金ヅルとして選んだのは、虎谷の友人の妻・B子だった。

京都大卒のエリートだと嘘をついて近づき、言葉巧みに誘惑して、B子さんを松永に夢中にさせ、結婚を約束して、夫と離婚させた。

その後、金を貢がせるようになり、一緒にアパートに住み始めてから引き取った次女を人質とすることで彼女の自由を制限し、B子を外で働かせていた。

B子にも通電などの虐待をしていたが、B子はやがて窓から飛び降りて逃げ出すことで死を逃れた。

松永が預かっていた次女は、松永がB子の前夫宅の玄関前に置き去りにしている。

同居していたアパートはすぐに引き払って姿をくらました。



松永は北九州市では「結婚詐欺」が主な収入源だったそうで、確認されている結婚詐欺の被害者の女性は25人以上もいるとも言われています。





・緒方一家分断工作

B子逃走後、また金に困った松永は、純子に金を工面するよう命じる。

純子は母親などに頼むが、母親の金が底をついて、金の要求を断られると、自分で稼ぐことにし、次男を親戚に預け(長男はA子が世話)湯布院のスナックで住み込みで働くようになった。

しかし、松永は純子が逃げ出したと思い、緒方一家を呼び出し、純子が虎谷久美雄を犯したと嘘をつき、それをすべて純子が主導し実行したと家族に吹き込んだ。

今まで純子に多額の仕送りをした上に、さらには虎谷を犯し、一家を窮地に追い込んだのは純子だと追い込まれた緒方一家は、松永が持ちかけた偽葬儀の芝居にのることにした。

松永は緒方一家の父・母・妹に、「私が死んだということにして葬式を出しましょう。そうすれば純子は帰ってくるだろうから芝居に協力して下さい。」と言いくるめ、嘘に協力させた。

父・響、母・静美、妹・理恵子が姉・純子に電話して、「松永が橋から飛び降りて自殺した。松永さんが亡くなったのは本当だ。とにかくすぐに帰ってきなさい。」と嘘を言い、純子を北九州に呼び戻した。

罠にはまり帰ってきた純子が北九州のマンションに着き、マンションの和室に入ると、テーブルに作られた祭壇には松永の遺影が飾られ、線香が焚かれていた。

父から促されて純子が松永の遺書を読んでいたところに、突然押入れが開き松永が飛び出してきた。

純子は、押入れに隠れていた松永に取り押さえられて殴られ、彼女は家族の前で通電や暴力を受けた。

松永は「残念だったな!」と叫び、純子に殴りかかり、緒方一家は飛び掛かり押さえつけた。

純子にとってはこの時、騙されたことよりも、家族が松永の味方をしたばかりか、彼の支配下、奴隷化の状況に置かれてしまったことの方がショックだったという。

こうして、純子への激しい虐待が始まり、中学生になったA子に純子を監視させて逐一様子報告させ、その内容によっては純子に通電を行って責めたてた。

あまりの辛さに純子は逃亡を企てるが、A子が追いかけ未遂に終わる。



これ以降、純子の両親と妹が頻繁に松永のマンションに呼び出されるようになり、さらには元警察官だった妹の夫と二人の子供まで松永に取り込まれて、総勢9人の共同生活が始まった。

松永は緒方一家と妹一家に、身内の純子が犯罪者だという負い目を被せ、純子の面倒を見るためには逃走資金が必要だと言い、調達させた。

同意した緒方一家は、1千数百万を払い、さらに家を抵当に入れて3000万を農協から借り、それも全額松永に渡した。

緒方家の親戚達は一家の様子を不審に思い、松永に騙されていると譽さん達に諫言するも、すでに松永支配下にある一家は聞き入れることもないまま、田んぼも抵当に入れるなどして結局総額6300万あまりを松永に渡してしまった。

親戚も警察に松永の情報を提供するなどして対応していたのだそう。



松永は、緒方一家に互いの不満を吐き出させて不信を抱くようにバラバラ状態にして、一家が連帯して松永に対抗することを防止した。

そして、巧みに聞き出したそれぞれの秘密や弱みを執拗に攻めることで罪悪感を植え付け、その内容を書面にして心理的拘束の道具として支配を強めていった。

例えば、松永は婿養子で性格のおとなしい主也が緒方一家への不満があることを感じ取り、大げさに一家の主扱いをして持ち上げることで信頼を得て、連日酒を飲みながら主也に色々吹き込み始めた。

土地の名義を未だに主也に移さないのは、婿養子だから馬鹿にされているからだとプライドを煽った。

さらには、妻・理恵子が主也と交際前に妊娠・中絶や不倫があったことを聞きだしており、そのことを主也に暴露することで純子の妹一家に不信感を煽っていった。

こうして、主也と妻・理恵子は不信感を抱くようになり、主也は松永に言われて妻や義父を責め殴るようになった。

一方で、松永は主也を持ち上げるだけではなく、ささいな問題をあげつらい、主也を責めたてたりもした。

松永は緒方一家に対して、自由な行動が制限され、食事は1日1回のみ、姿勢は直立不動、水は許可が必要といったルールを課していたそうで、そのルールに従わないと家族同士で暴力や通電を行わせた。

そのため一家は通電を避けたいという気持ちから、松永の歓心を買うために家族を裏切り、密告するようになっていった。

そして、松永は一人ずつターゲットにして、自分が手を下すことなく互いに暴力を振るわせ、家族は次々に消されていった・・・



その後、2002年に北九州市小倉のマンションで監禁されていたA子(当時17)が祖父に助けを求めたことで事件が発覚し、警察は少女Aの証言を元に「殺害現場と思われる場所の配管」まで切り出し、DNA鑑定を行った。

しかし、時間が経ちすぎており、7人の遺体がすでに完全に消滅、物的証拠が何もないという状態であった。

この事件の概要は、逮捕された純子が自白した証言で改めて判明していった。





・北九州一家監禁事件と尼崎連続変死事件は、犯人たちが家族をマインドコントロールした方法が似ている

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緒方一家に互いの不満を吐き出させて不信を抱くようにバラバラ状態にして、互いに暴力を振るわせ、一家が連帯して松永に誰も逆らうことができないようにコントロールするやり方は、尼崎で起きた尼崎事件と似ています。

尼崎事件は、主犯格とされる角田美代子元被告(64=当時)を中心とした集団に複数の家族が長期間虐待を受けた事件で、死亡するなどの事態が明らかとなった。

角田美代子は、親子が分断するように仕向けるために、両親を否定させることを紙に書かせたり、自分に忠誠を誓わせる言葉も書かせていたそうです。

さらには、ターゲットの中で序列を作り、角田美代子が自分で手を下すことなくターゲット内でお互いに暴力を振るわせて、加害者にすることで外に言いにくくして、ターゲット同士が協力できないように分断していました。

こうした家族を取り込む手口を行った角田美代子は、親戚に在日の李正則受刑者が居るので、在日朝鮮人の背乗りではないかと言われていて、在日が角田美代子の戸籍ごと乗っ取り、あのような凶悪な犯行を犯したと言われています。

確かに、角田美代子の中学時代の写真と大人になった時の写真が全く違って見えます。

朝鮮人と言えば彼らが実行した拉致は、北朝鮮工作員がボートに乗って日本に密入国し、日本人を拉致したことが事実に違いはないだろうけど、日本の土地勘もなく、何処にどんな日本人がいるかも分らずに、手当たり次第に拉致をしていたらばれてしまうはずですから、北朝鮮工作員に協力した人間が日本におり、日本にいる在日朝鮮人が拉致の手引きをしたと言われています。

おそらく拉致を実行する際、休憩したり・食事を取ったり・武器弾薬の貯蔵場所としてのアジトが必要ですしょうし、誘拐車両も必要でしょう。

そして、誰でも拉致をしたのではなく、条件に合うターゲットを事前に探し出し、尾行や盗聴するなどして、拉致のターゲットとなる人の詳細な情報、通学路や通勤時の誘拐する地点などの誘拐計画も立てたことでしょう。

これら全ての計画を実行することができたのは、日本の土地勘があり、日本に拠点を構えて、普段から拉致のターゲットを定めて尾行や盗聴するなどして、詳細な情報収集をすることが可能であるのは在日朝鮮人だと言われています。

ですから、北九州一家監禁事件も松永だけが、尼崎事件も角田美代子やそのいとこ李正則だけがやっていたというよりは、拉致のようにもっと協力者がいたのかもしれないなぁと思ってしまいます。

さらに、松永は高校の卒業アルバムを見て、電話したくなったと言っているけれども、拉致と同じように、ターゲットとなる緒方家の詳細な情報を知った上で狙われた可能性もあるのかなと思いました。



松永と交際が始まったといっても、当時松永には妻がいたし、純子の両親に松永との交際が発覚し反対されたのですから、この時点で止めればよかったのでしょう。

そこは松永が純子の両親と何度も会い、好青年を演じ、次第に両親が松永に好印象を抱くように騙し、ついに松永はいずれは妻と別れて婿養子になる約束を緒方純子の両親に認めさせました。

こんな事件があると、「日本国憲法の両性の合意」とは、「騙す男や女であろうが、相手の両親を騙そうが、その家が後に苦しめられることになろうが、とにかく両性の合意さえあればいい」ということにも解釈できてしまうなぁと思ってしまいます。

1946年に日本国憲法が制定され、国民はすべて、個人として尊重され、法の下に平等であるとされました。
 
その精神に則して民法では、それまでの戸主・戸主権や家督制度を廃止し、一代限りの夫婦家族を基礎とし、家制度はなくなりました。

そして、戸籍は1組の夫婦ごとに作られ、子どもの結婚後はその戸籍から離れ、新しい戸籍が作られるようになりました。

結婚は、男女の自由な意思の合意によってのみ成立し(憲法第24条)、本人同士の意思であれば親であっても、その結婚をやめさせることができず、また親の許しを得る必要ありません。

しかし、明治憲法の民法では、家は戸主と家族とにより構成され、戸主は戸主権という一家統率の権力を有し、家族に対して身分上の統制力を持ち、家を守るという法律制度がありました。

戸主には、家族の婚姻に対する同意権、家族員の居所を指定する権利(居所指定権)、家族員のさまざまな行為(婚姻、養子縁組、入家・去家、他家相続、分家など)に対する戸主の同意権がありました。

今は家制度が無くなり、核家族でそれぞれが自由があっていいのかもしれません、しかし緒方家の事件を踏まえて考える時、明治民法における家制度は家全体とその一人一人を守るためのよく考えられた智慧だったのかなぁと思います。







<オウム真理教の土屋の場合>

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大学生の頃に勧誘されて、オウム真理教のセミナーに参加し、大学や大学院を中退してまでオウム真理教に入信したそうですが、なぜ高学歴なのにあんなに怪しい宗教にはまったのか疑問が残るところです。

例えば、その一人である土谷について、その生まれた家庭は裕福なところだったそうで、高校に入るとラグビー選手として活躍し、学校の成績も良く、希望通りに筑波大学に入学しました。

筑波大学に入学すると、親元を離れて、下宿生活を始め、大学では高校の時からずっと憧れていた筑波大学のラグビー部に入り、順風満帆な学生生活を送っていたそうです。

しかし、ラグビー部に入って一週間も経たない頃、重症の肉離れという怪我を引き起こし、ラグビー部を退部せざるを得なくなりました。

そうした中、その頃に交際していた女性が、気落ちしている土屋を励まそうと、懸命に支えてくれたのだそうで、しばらくするとケガによってラグビーができなくなったショックから立ち直ったのだそうです。

ところが、ある時、土谷は友人から、交際していた女性が二股をしていると聞かさたそうで、それを確かめるために一時間おきにその彼女の実家に電話をするのですが、本人が出ることはなく、他の男性と交際しているんじゃないかと思うと次第にどんどんマイナス思考になっていったのだそうです。

そして、ついに、その彼女とは別れることになり、人生で初めて心を開いた彼女が離れていった出来事によって、心に大きく穴が開いたのだそうです。

その頃、世の中は、バブルの最盛期だったそうで、大学生も浮かれていて、派手なパーティーを毎晩のように行っている学生たちもいるような時代だったのだそうです。

それで、土谷はそうした時代に馴染むことができなかったそうで、就職する気にもなれなかったので、大学院に進学しましたが、周りは就職が決まっていく中で、自分だけが決まらない・・・、そうした状況の中で、次第に自分の人生に不安を感じるようになったと言われています。

そうした頃、大学院で同じ学生から、”不思議な体験ができらしい。イベントがあるから一緒に行ってみない?”と誘われたのが、オウム真理教が開催していた超能力セミナーだったのでした。

そして、そのオウム真理教のセミナーに参加してからおよそ4か月ほど経った頃、修業が足りないからと言われて、教団が勧めるままに30万もするセミナーに参加したり、また10万もするテープを購入したりしたそうですが、それらは教団側に借金して契約したのだそうで、借金は膨らんでいったのだそうです。

それで、その借金を返すために、やがてアルバイトに明け暮れる日々を送ったとか。

その後、土谷が次第に大学院にも行かなくなっていた頃、オウム真理教は選挙に出馬して、もちろん惨敗したのですが、そのことについて麻原が”こんな得票数は有り得ない、やはりオウムは国家に弾圧されている”と信者らに言っていたそうです。

すると、閉鎖的な生活をしていた信者らは、社会を敵視した反社会的な考え方になっていったそうです。

一方で、入信に反対の立場をとっていた土谷の両親は、1990年7月19日、オウムから脱会させるために、茨城県所在の仏蓮宗のお寺に土谷を監禁してすることに成功しました。

しばらくの監禁により一旦は、マインドコントロールは解けたかに見えたのだそうです。

ですが、オウム側は町田市にある土谷の実家を盗聴して、土谷の居場所を突き止め、さらには土谷が監禁されている仏蓮宗のお寺に街宣車を動員して、連日のように押しかけて土谷の解放を求め街宣を行い、さらにオウムの反撃はこれだけではなく、土谷の実家前には大量のビラが撒かれました。

それは桶川ストーカー事件において、被害を訴えていた女性が相手の男性グループから実家の前や駅や大学構内にぎっしりと誹謗中傷ビラを撒かれたのと同じよう・・・

それに、そういえば、北朝鮮の数学の教科書ではその問題として、”日帝野郎のことを書いたビラを合計で何枚張ったでしょうか”なんていう問題もあるので、北朝鮮は反日に関するビラ貼りが得意なのでしょうか・・・

そうした中、オウム側は教団の顧問弁護士でもある青山の名で、人身保護請求を申し立てました。

それで、人身保護請求の裁判に備えて、土谷本人が出廷しなければならなくなり、両親や仏蓮宗関係者らとともに都内のホテルに泊まっていたのですが、土谷は夜中に抜け出し、そのまま家族と縁を切ってオウム真理教富士山総本部で集団生活に入っていったのでした・・・





現行憲法第21条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

A検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない

次に自民党憲法草案の第21条

集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、
保障する。

2前項の規定にかかわらず、
公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、
並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。

3検閲は、してはならない。
通信の秘密は、侵してはならない。

【Q19】その他、国民の権利義務に関して、どのような規定を置いたのですか?

【自民党の答】(2)公益及び公の秩序を害することを目的とした活動等の規制(21条2項)

オウム真理教に対して破壊活動防止法が適用できなかったことの反省などを踏まえ、公益や公の秩序を害する活動に対しては、表現の自由や結社の自由を認めないこととしました。内心の自由はどこまでも自由ですが、それを社会的に表現する段階になれば、一定の制限を受けるのは当然です。なお、「公益や公の秩序を害することを目的とした」活動と規定しており、単に「公益や公の秩序に反する」活動を規制したものではありません。



明治憲法の第29条には、「日本臣民は、法律の範囲内において、言論、著作、印行、集会及び結社の自由を有する。」とあります。

オウム真理教の信者だった土屋は、大学院で同じ学生から”不思議な体験ができらしい。イベントがあるから一緒に行ってみない?”と誘われ、オウム真理教が開催していた超能力セミナー行きました。

その連れていかれたオウム真理教で、国家に弾圧されているとして閉鎖的な生活をしていた信者らは社会を敵視した反社会的な考え方になっていったそうですから、単に信者同士が集まっていたのではなく、国家転覆を目論んでいたということなのでしょう。

現行憲法で結社の自由が保障されていることは自由でいいことかもしれませんが、オウム真理教に関する事件を踏まえて考えるなら、明治憲法第29条で結社の自由が「法律の範囲内」という条件付だったことは、国家転覆を目論む団体が出てきた場合も想定した上で作られたのかなと思うと、これもまた昔の人の深い知恵を感じざるを得ないのです。

自由が認められているのは、とても理想的でいいことかもしれないけれど、その自由を悪用して国家転覆を目論む団体、一家を狙ってコントロールする人たち、勧誘された人が次の被害者を出す団体があることを踏まえれば、明治憲法において法律の範囲内で結社や信教の自由が許されていたこと、さらに一家統率の戸主権や家を守る法律制度に、深い意味合いが込められているように思います。








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