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zoom RSS 今の相撲界は元寇みたい・・・200年前最後に譲位した光格天皇と憲政史上初めてとなる今上天皇の生前譲位

<<   作成日時 : 2017/12/11 23:05   >>

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花田の実弟でもある貴乃花親方が巡業部長では冬巡業に参加できないと白鵬が訴えたという一連の報道について、MCのタレント・上沼恵美子(62)から「弟さんのことを嫌ってらっしゃるんですね、白鵬さんは」と聞かれた花田は「一連の報道を見ると、そうではないのかなと」と肯定した。

「現役の力士が親方に何か言うっていうのは、どの親方に対しても、自分の師匠に対してもそうですけど、言うことは言えない」と、白鵬の貴乃花親方への態度が極めて異例であることを指摘。

今の相撲界を見ていると、鎌倉時代の”元寇”を彷彿とさせられました。

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その元寇と言えば、日本を攻める気がなかった元を高麗が執拗にけしかけたことによって日本侵攻が決定し、元軍4万の内で3分の2が高麗の兵だったことから、まさに元寇という名の”高麗侵攻”とも言える。

白鵬と貴乃岩の件も今後どうなっていくのか注目されているニュースの一つだと思いますが、今回は、平成から新元号に改元されるということで話題となった今上天皇の生前退位(譲位)の件について見てみたいと思います。







〇200年前、 最後に譲位した光格天皇とは〇



天皇陛下が約6年半前に譲位の意向を示した当初、最後に譲位した光格天皇の事例を調べるよう宮内庁側に伝えられていたというニュースを以前目にした時、とても印象に残りました。

光格天皇は江戸後期の1779年、閑院宮家から後桃園天皇の養子になり、第119代天皇に即位1817年に皇太子だった仁孝天皇に譲位し、太上天皇(上皇)となった。

在位中は朝廷の儀式を再興させるなど近代天皇制の礎を築いたとされており、天皇陛下は光格天皇の直系にあたられます。

歴史をみると、半数近くの天皇が譲位で皇位を引き継いでいて、宮内庁などは退位した天皇について昭和天皇までの歴代124人のうち58人としており、二つの皇統が並立した14世紀の南北朝時代の北朝の天皇5人と合わせると計63人になるそうです。


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天皇陛下の件で脚光をあびた第119代光格天皇は、あまり有名な天皇ではないけれども、幕末の尊皇思想に大きな影響を与えた天皇と言われています。

光格天皇は9歳で、閑院宮家という傍系から、はからずも皇位についた方でした。

閑院宮家は宝永7(1710)年に新井白石の進言により、皇位継嗣の安定のために創設された宮家でした。

東山天皇の第6王子直仁親王が初代であり、その第6王子である佑宮(さちのみや)が後の光格天皇です。

傍系宮家のそのまた第6王子だと、皇位につく可能性はほとんどないので、いずれ出家して聖護院門跡を継ぐことが予定されていました。

ところが、佑宮が9歳の時に、運命は大きく変わります。

当時の後桃園天皇がわずか22歳という若さで病気のために急逝してしまい、子供もその年に生まれた女子しかいませんでした。

そこで、佑宮が養子として迎え入れられ、践祚しました。

傍系から幼少にして皇統を継いだために、朝廷や幕府の中には、光格天皇を軽んじる向きがあったそうです。

それを案じたのか、先々代の後桜町院は天皇に学問を熱心にするよう勧めて、光格天皇もその期待に応え、熱心に学問に励んだそう。





光格天皇といえば、御所千度参り。

江戸時代中期の1782年(天明2年)から1788年(天明8年)にかけて天明の大飢饉が発生して、東北地方を中心に深刻な被害を与え、全国で2万人もの人が餓死したそうです。

疫病も流行し、米価が高騰し、農村の疲弊は甚だしく、江戸や大坂で打ちこわしが多発していたそう。

こうした困窮した生活からの救済と五穀豊作を祈願をしようと、天明7(1787)年6月7日から人々は「御所御千度参り」のために御所の周囲に集まり始め、京都やそれ以外の地域からも来ていたそうで、その数は7万人に達したとも。

人々は御所を囲む築地塀の周囲をぐるぐる廻り、南門で拝礼して祈願。

後桜町上皇は3万個のリンゴを配り、有栖川宮や一条家、九条家、鷹司家もお茶や握り飯が配ったそうです。

米価が高騰し、餓死者まで出るという困難な事態に、人々は幕府の京都所司代や京都町奉行所に繰り返し嘆願したけれども、これらの役所はいっこうに救済策をとりませんでした。

幕府に頼んでも埒が明かないと悟った人々は、御所千度参りという形で、天皇に救済を訴えたのである。

この事態を憂慮した光格天皇は、幕府に民衆救済を求めることにしました。

こうした政治介入は禁中並公家諸法度への違反行為であり、側近たちはどんな厳罰が下るかと憂慮したそうです。

幸いにも当時の幕閣はこれを緊急事態として不問として、米1500俵を人々に提供しましたが、飢饉に対してひたすらに万民の安寧を祈り、幕府に救済を命ずる朝廷の行動が民衆の目にも明らかとなり、後の尊皇倒幕の要因の一つにもなったそうです。

この時、光格天皇は17歳で、自ら朝廷の中心となって、政務を取り仕切っていたようで、この点もここ数代の天皇とは異なっていました。





光格天皇は後桃園天皇の養子となり即位したが、父・閑院宮典仁親王が自分の臣下である摂関家より位が低いことを気にして、太上天皇(譲位した後の天皇)の尊号を贈ろうと考えました。

当時の幕閣の老中・松平定信は、皇位についていない人間に皇号を贈るのは先例のない事態として反対。

しかし、光格天皇は諦めずに、後高倉院(守貞親王)や後崇高院(伏見宮貞成親王)の先例と反駁します。

すると、その先例について松平定信は、「承久の乱と正平一統(南北朝争乱)の非常時であって、太平の時代にあてはめるべきではない」と認めなかったそうです。

最終的にこの一件は、典仁親王に1000石を加増することで妥結しました。

幕府の祖法である法度を逸脱する要求をするなど、この当時としては考えられないことであり、光格天皇のこの行動は庶民の間にも風聞として伝わり、のちの尊皇思想へと繋がっていったと言われています。

典仁親王は明治天皇の高祖父にあたることから、明治17年、慶光天皇(慶光院)の諡号と太上天皇の称号が贈られました。



文化14年(1817)、光格天皇は仁孝天皇に譲位、現在までで最後の太上天皇となっており、天保11年(1840)に69歳で崩御されました。

中世以来の神事の再興や朝権の回復に努め、後の学習院の基となる公家の教育機関を構想した光格天皇が現在の皇統に連綿と続いているのだなと思い、今上天皇が「日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を,日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し,更に日々新たになる日本と世界の中にあって,日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考えつつ,今日に至っています。」の意味を改めて考えさせられました。







〇戦前と戦後の皇室典範には、生前退位(譲位)に関する規定がない〇



宮内庁は8日午前、天皇陛下の譲位日を決めるために今月1日に同庁内で開かれた皇室会議の議事概要を同庁ホームページで公開していました。

「天皇の退位等に関する皇室典範特例法(平成29年法律第63号)の施行日の決定に当たっては、天皇陛下の御退位及びそれに伴う皇太子徳仁親王殿下の御即位がつつがなく行われること、皇位の継承に伴う国民生活への影響を考慮すること等に留意する必要がある。

以上の点を踏まえて、皇室会議としては、施行日は平成31年4月30日とすべきであると考える。

なお、本法の施行に当たっては、国民生活への影響も十分考慮し、皇位の継承がつつがなく行われるよう、政府において遺漏なく準備を進めるとともに、その状況について適時適切に国民に周知を図っていくことが必要である。」


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この特例法の正式な法案名は、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」。

この法案は「本則」5条と「付則」11条からなっていますが、どんな内容が示されているのでしょうか?



天皇の退位等に関する皇室典範特例法の概要

(趣旨)

第一条 この法律は、天皇陛下が、昭和64年1月7日の御即位以来28年を超える長期にわたり、国事行為のほか、全国各地への御訪問、被災地のお見舞いをはじめとする象徴としての公的な御活動に精励してこられた中、83歳と御高齢になられ、今後これらの御活動を天皇として自ら続けられることが困難となることを深く案じておられること、これに対し、国民は、御高齢に至るまでこれらの御活動に精励されている天皇陛下を深く敬愛し、この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感していること、さらに、皇嗣である皇太子殿下は、57歳となられ、これまで国事行為の臨時代行等の御公務に長期にわたり精勤されておられることという現下の状況に鑑み、皇室典範(昭和22年法律第三号)第四条の規定の特例として、天皇陛下の退位及び皇嗣の即位を実現するとともに、天皇陛下の退位後の地位その他の退位に伴い必要となる事項を定めるものとする。

(天皇の退位及び皇嗣の即位)

第二条 天皇は、この法律の施行の日限り、退位し、皇嗣が、直ちに即位する。

(上皇)

第三条 前条の規定により退位した天皇は、上皇とする。

2 上皇の敬称は、陛下とする。

3 上皇の身分に関する事項の登録、喪儀及び陵墓については、天皇の例による。

4 上皇に関しては、前二項に規定する事項を除き、皇室典範(第二条、第二十八条第二項及び第三項並びに第三十条第二項を除く。)に定める事項については、皇族の例による。

(上皇后)

第四条 上皇の后は、上皇后とする。

2 上皇后に関しては、皇室典範に定める事項については、皇太后の例による。

(皇位継承後の皇嗣)

第五条 第二条の規定による皇位の継承に伴い皇嗣となった皇族に関しては、皇室典範に定める事項については、皇太子の例による。



この特例法については、退位は例外的措置であることや、憲法第2条「国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」に違反との疑義を払拭するために、皇室典範の附則には「特例法は典範と一体」であることが規定されたそうですが、その皇室典範にはどのようなことが示されているのでしょうか。

旧皇室典範と新皇室典範の違いについて見てみると、今と昔の国の体制はどのように違うのかが見えてきます。





「大日本帝國憲法」

第1章 天皇

第1条:大日本帝國は万世一系の天皇之を統治す。

第2条:皇位は皇室典範の定むる所により皇男子孫之を継承す。


「旧皇室典範」

第1章 皇位継承

第1条:大日本国皇位は祖宗の皇統にして男系の男子之を継承す。
第2条:皇位は皇長子に伝う。

第11章 皇族会議

第55条:皇族会議は成年以上の皇族男子を以って組織し内大臣、枢密院議長、宮内大臣、司法大臣、大審議員長を以って参列せしむ。
第56条:天皇は皇族会議に臨席し又は皇族中の一員に命じて議長たらしむ。


「日本国憲法」

第一章  天皇

第一条:天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく。
第二条:皇位は世襲のものであって国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。


「新皇室典範」
 
第一章 皇位継承
 
第一条:皇位は、皇統に属する男系の男子がこれを継承する。
第二条:皇位は左の順序により皇族にこれを伝える。
第三条: 皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があ るときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる。
第四条 天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。

第五章 皇族会議
    
第二十八条:皇室会議は、議員十人でこれを組織する。
2.議員は、皇族二人、衆議院及び参議院の議長、副議長、内閣総理大臣、宮内庁の長官並びに最高裁判所の長たる裁判官及びその他の裁判官一人を以ってこれに充てる。

3.議員となる皇族及び最高裁判所の長たる裁判官以外の裁判官は、各々成年に達した皇族又は最高裁判所の長たる裁判官以外の裁判官の互選による。

第二十九条:内閣総理大臣たる議員は皇室会議の議長となる。

第三十条:皇室会議に予備議員十人を置く。
           
第三十五条: 皇室会議の議事は、第3条、第16条第2項、第18条及び第20条の場合には、出席した議員の3分の2以上の多数でこれを決し、その他の場合には、過半数でこれを決する。
2 前項後段の場合において、可否同数のときは、議長の決するところによる。





この比較でわかると思いますが、大日本 帝国憲法第74条には、「1.皇室典範ノ改正ハ帝国議会ノ議ヲ経ルヲ要セス 2.皇室典範ヲ以テ憲法ノ条規ヲ変更スルコトヲ得ス」と規定されており、典範に関わる改正などは帝国憲法の機関たる帝国議会の関与は不要だったので、皇室典範は大日本帝国憲法と同等の地位を有する法典とされました。



戦前の皇族会議は、皇室典範第55条に「皇族会議ハ成年以上ノ皇族男子ヲ以テ組織シ内大臣枢密院議長宮内大臣司法大臣大審院長ヲ以テ参列セシム」とあるように、」成年の男性皇族方が中心となって組織されており、第56条に「天皇ハ皇族会議ニ臨席シ又ハ皇族中ノ一員ニ命シテ議長タラシム」とあるように、天皇は皇室の家長としての立場から皇族会議にご臨席されていました。

しかし、戦後は、旧皇室典範が議会の一切関与できない「皇室の家法」であったことから、新しい皇室典範を国会の統制下に置こうとするGHQの意図が反映された結果として、憲法第2条「皇位は世襲のものであって国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」と規定され、これによって皇室典範を天皇や皇族が決定できなくなりました。

また、今の皇室会議には天皇陛下がご出席出来ず、議員も10人に制限され、皇族のご出席はわずか2名へと変更されていきました。



さらに、今と昔の違いは他にもあり、今の憲法第4条には「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。」と規定されていることから、天皇は国政に関する権能を有しないとの憲法の規定を踏まえて制度に関わる具体的な文言を避けた上でお気持ちを表明されました。

一方で、大日本帝国憲法第4条には「天皇は国の元首にして統治権を総覧し此の憲法の条規に依り之を行ふ」とあり、国政に関する権能を有していたととることができ、また戦前の皇室典範でも生前退位(譲位)が認められていないけど、大日本帝国憲法第74条には「1.皇室典範ノ改正ハ帝国議会ノ議ヲ経ルヲ要セス 2.皇室典範ヲ以テ憲法ノ条規ヲ変更スルコトヲ得ス」とあるので、もし仮に戦前の大日本帝国憲法下で天皇陛下が生前退位(譲位)ということになっていたなら、今とは違う動きになっていたのかなとも思います。







〇大日本帝国憲法第75条によれば、憲法だけではなく皇室典範も変更してはならなかった!?〇



明治22(1889)年に「大日本帝国憲法」と同時に旧皇室典範が制定されて、皇位継承・摂政設置・皇室会議・天皇及び皇族の身分等、皇室に関する事項が規定されました。

国家に関する事項を規定した「大日本帝国憲法」と、皇室に関する事項を規定した「皇室典範」、二つの最高法典が存在していたことになります。

その「大日本帝国憲法」の冒頭には、「皇室典範」と「大日本帝国憲法」制定にについて告文には次のように示されています。





告文

皇朕(明治天皇)は、皇祖皇宗(神武天皇および歴代天皇)の御神霊へ謹み畏まって申し上げます。
 
私はいつまでも続いていく天地のようにいつまでも続くようにはるか先までの心構えに従い、御神霊の皇位を継ぎ、これまでの伝統を維持し続け、放棄したり別の方法をとることはありません。
 
これまでのことを振り返ってみれば、世界の時代がすすむにつれて人文の発達が進むごとに、皇祖、皇宗が遺して下さいました訓戒をはっきりと明らかにしたうえでさまざまな規則を作り、条章を明らかにして、国内に対しては子孫がこれらの規則から外れないようにし、外国に対しては臣民の一人一人が私を補佐してくれることが大事なのだということを広め、永遠に遵行を行いさらなる国家の基盤を確固たるものにし、益々大事業(国家統治)の基礎を強固にして臣民の慶福を増進すべきです。 

そのためにここに皇室典範および憲法を制定するのであります。
 
深くかえりみるに、これらのことはすべて、皇祖、皇宗の子孫に対して残せるような統治の規範に従いまして、これから行動することに他ならず、このことから、私のこの身に何かあった時には揃って執り行うことができるのは、本当に皇祖、皇宗及び皇考の神威に頼り、それに由来していないわけがありません。
 
私は仰いで皇祖皇宗および先帝の助けを祈願し、あわせて朕の現在および将来に臣民に率先してこの憲章を実行してこれを誤ることの無いようにすることを誓います。

願わくば神霊よ、これを導きたまえ。





今の日本国憲法下での「皇室典範」が一つの法律のように扱われているのに対して、戦前の「皇室典範」は憲法と同格で、皇室の家法として認められていたようです。

皇室に関する事項に付いて、大日本帝国憲法第74条には「皇室典範ノ改正ハ帝国議会ノ議ヲ経ルヲ要セス」とあるように、政府及び帝国議会は一切関与することができませんでした。

そうの旧皇室典範の中でも皇位継承について、どのような精神に基づいて受け継ごうとしているのかが、大日本帝国憲法の前文にある「明治天皇による大日本帝国憲法発布の勅語」を読むと見えてきます。





憲法発布勅語

 朕は、国家の隆盛と臣民の慶福とをもって喜ばしい光栄なことの中心とし、朕の祖宗から受け継いだ大権によって、現在から将来にわたって臣民に対し、この不朽の大典を宣布する。
 考えてみれば、私の先祖の方々は今いる臣民の祖先の協力や助けを信頼しこの大日本帝国を創造し永久の模範としてくだされた。このことは、私の神聖である祖先の威厳と人徳 が高かったのと同時に、臣民の忠実で勇武で国を愛し、国のためならば命を捨てることもいとわないという行いによって、この光り輝かしい栄光に満ちた日本国 史を作り上げた。
 朕は、我が臣民が、すなわち祖宗の忠実・善良なる臣民の子孫であることを思いめぐらし、朕の意志に身を挺し、朕の事業をすすめ従い、心を一つに力を合わせて、ますます我が帝国の光栄を国の内外に広く知らしめ、祖宗の遺業を永久に強固たるものにするという希望を同じくし、その任の負担に耐えられることに疑いはない。

(上諭)

 朕は、祖宗の功績を受けて万世一系の帝位をふみ、朕の親愛なる臣民はすなわち朕の祖宗が恵み、愛し、慈しみ、養ったところの臣民であることを思い、その慶福を増進し、その立派な徳と生まれながらの才能を発達させることを願い、またその補佐によって、ともに国家の進運を助けてくれることを望む。そこで明治十四年十月十二日の勅命を実践し、ここに大いなる憲法を制定して、朕に従ってくれることを示し、朕の子孫および臣民とまたその子孫によって永遠に命令に従い実行してくれることを知らしめる。
 国家を統治する大権は朕がこれを祖宗より受け継ぎ、また子孫へと伝えていくものである。朕および朕の子孫は将来、この憲法の条文に従って政治を行うことを誤ってはならない。
 朕は我が臣民の権利および財産の安全を貴び重んじ、またこれを保護し、この憲法および法律の範囲内においてその享有を完全に確かなものだとしてよいと宣言する。
 帝国議会は明治二十三年をもって召集され、議会開会の時をこの憲法が有効となる期日とする。
 将来、この憲法のある条文を改正する必要が出たときは、朕および朕の子孫はその改正を発議し、これを議会に提出して、議会はこの憲法に定められた要件にしたがってこれを議決するほか、朕の子孫および(そのときの)臣民は決してこれを掻き乱して変えようとすることがあってはならない。
 朕の朝廷に勤めている大臣は朕のためにこの憲法を施行する責任を有し、朕の現在および将来の臣民はこの憲法に対し永遠に従順の義務を負わなければならない。
 




・日本建国の理念を踏まえて作られた大日本帝国憲法、その憲法で定められていた憲法改正ができる範囲

日本建国の理念は、「日本書紀」の天孫降臨に「天照大神が孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に下された3つの神勅」として、「秋になると稲穂が良く育つ葦原の国は、私より続く皇孫が統治しなさい。天孫が継いでいく限り、この正しい系統が栄える限り、この天と地は永遠に栄えていくことでしょう。」、「吾が高天原に作る神聖な田の稲穂を、わが子に授けましょう。」と示されています。

このような神勅ー日本国家の基本的な理念は、邇邇藝命(ニニギノミコト)が天照大神から授かり、そしてその理念が天下ってきて具体的に実現したのが邇邇藝命(ニニギノミコト)の孫・神武天皇でした。

神武天皇は、九州より大和に来られて、橿原の地に都をお開きになり、天皇に即位され、そして神武天皇による国御即位の詔(みことのり)には、次のような内容が示されています。

「天照大神から連綿とつづく神の子としての自覚をもち、時代に応じて最も民意を反映した政治を行います。人々の利益にかなう政治を行うことは、聖徳の天皇政治の妨げにはならないでしょう。
まさに山林を開き払い、宮室を造って、謹んで尊い位につき、国民(元元:おおみたから)が安心して暮らせる国をつくり治めよう。
上は天津神より国をお授け下さった御徳に応え、下は皇孫の正義を育てるための心を広めよう。
その後、国中を一つにして都を開き、天の下を覆いて一つの家とする事は、また良い事ではないか。」

前半には、天皇の政治は、国民を大切にすることを統治の根本とした民主政治であること、また後半には、「上(かみ)は即(すなわ)ち乾霊(あまつかみ)の国を授けたまう」とあるように、武力で先住民を制圧したのではなく、天の大神より国を委託されたという謙虚な気持ちが表わされています。



その日本書紀に示されている神勅と神武天皇の建国の詔の精神は、大日本帝国憲法の第一条に、「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」と明確に表現されています。

また、大日本帝国憲法の告文(おつげぶみ)にも、次のように示されています。

「深くかえりみるに、これらのことはすべて、皇祖、皇宗の子孫に対して残せるような統治の規範に従いまして、これから行動することに他ならず、このことから、私のこの身に何かあった時には揃って執り行うことができるのは、本当に皇祖、皇宗及び皇考の神威に頼り、それに由来していないわけがありません。」

また、憲法発布勅語にも、

「明治14年10月12日に下した国家開設の勅諭を実行し、そしてここに憲法を制定して、朕と将来の天皇、そして臣民と臣民の子孫が永遠にこれに従うべきである事を知らせる。」

と示されていて、明治憲法は子々孫々い至るまで、それに遵い、実践するべきであると宣言されています。

そして、統治の大権については、

「国家を統治する権利は、朕が先祖から受け継いで子孫に伝えるものである。朕と朕の子孫は、この憲法の決まりに従って統治権を行使するという事に違反してはならない。」

このように、明治憲法の告文や憲法発布勅語には、統治の大権・建国の精神は永遠に循行するべきであると示されているかと思います。

その上で、憲法の条項改正については、次のように示されています。

第73条 「将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ」

これは、明治憲法の大網である統治の大権・建国の精神は永遠に循行するべきであるというのを前提にした上で、憲法の条項改正の手続きについて書かれているのでしょう。

ですから、そうしうたことを踏まえると、改正してもいい範囲というのは限定された範囲であると捉えることができ、憲法全部を変更することは明治憲法の第73条の「憲法の条項改正」の範囲でしてはならないとも解釈することができるかと思います。





・実質的にはマツカーサー草案、形式的には第73条「憲法の条項変更」に基づいて手続方法が取り運ばれた

日本国憲法作成過程の1946年2月に、日本国憲法のマッカーサー草案が日本政府に渡されて、日本政府はこれを基に日本語の憲法改正案を作成し、3月5日午後、すべての作業を終了。

当時の帝国議会の貴族委員の方たちは、この憲法を通過させるつもりはなかったようで、だからといって占領軍反抗していたら、政治追放されたり、戦犯裁判にかけられる恐れがあったので、時間をかせいで、審議未了で流してしまうつもりであったそうです。

すると、3月6日、帝国憲法の改正審議の最終日、24時の5分前に帝国議会の時計が停まってしまいました。

これは、議会の進行を見ていた占領軍の人たちが、審議未了でマッカーサー草案による新憲法が廃案になることを阻止するために、すべての時計を停めたそうで、時計を停めたことによって、可決させることを強要したと言われています。

国際法上、占領軍は占領区域の法律を恒久的に改変することが出来ないという制約上、マッカーサーは日本が自主的に憲法改正を行ったという形式をとらせようとして、実質的にはマツカーサー草案の憲法であるけれども、帝国憲法第73条による改正の形式を採るように指示。

明治憲法第73条の改正手続によれば、「まず天皇の勅命で憲法改正案を帝国議会に発議する」必要があり、その上で衆議院・貴族院それぞれ総員の3分の2以上が出席し、出席議員の3分の2以上の多数の賛成を得たときに、改正の議決が成立するけれども、当時、天皇はGHQによって発議権が侵されていました。

こうして、形式的には第73条の「憲法の条項変更」に基づいて手続方法が取り運ばれたように見せかけて、実際には「憲法全文の変更」を執り行ったので、国民の目を欺くようなやり方をしたと捉えることもできるかと思います。





・大日本帝国憲法第75条には、「摂政を置く間は憲法及び皇室典範を変更してはならない」と定めていた

さらには、大日本帝国憲法の第75条には、「憲法及皇室典範ハ摂政ヲ置クノ間之ヲ変更スルコトヲ得ス」と示されています。

摂政(せっしょう)とは、天皇が政治を行う能力に支障を生じた時に、天皇に助言し示唆し、又は政治を代行する役目の人間をいうのであって、昭和21年の占領憲法制定当時は、天皇は占領軍総司令官の指揮の下に従属されて、マッカーサーが天皇に助言し、示唆して勅命や詔勅を発しせしめる摂政の役割を演じていました。

また、「憲法及皇室典範ハ摂政ヲ置クノ間之ヲ変更スルコトヲ得ス」とあるにもかかわらず、1947年5月3日、日本国憲法と日を同じくして「皇室典範」が施行され、同年10月13日、三直宮を除く全ての宮家に対し「皇籍離脱」の宮内府告示が下りて、翌日の官報告示により、11宮家・51人もの皇族が一度に皇籍を離れる非常事態を迎えました。

このように、天皇が直接政治を行うことの出来なかったあの時点において、帝国憲法及び皇室典範を変更することは明治憲法に違反しているという日本国憲法無効論の解釈があります。

現憲法下では天皇は国政に関する権能を有しないけれども、もしもこの大日本帝国憲法下で生前退位(譲位)が執り行われるとしたら、その第4条には「天皇は国の元首にして統治権を総覧し此の憲法の条規に依り之を行ふ」とあるので、どのような動きになっていたのでしょうか・・・

いずれにせよ、今上天皇のお気持ち表明の最後のところに、「これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり,相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう,そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ,ここに私の気持ちをお話しいたしました。国民の理解を得られることを,切に願っています。」とあるように、安定的に続いていくためには私たち一人ひとりの理解が大切なのだなと思いました。












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