日本で初めての憲法、十七条の憲法を考案したとされる聖徳太子を知らない人は少ないのではないだろうか。
未だ国の制度が整っていない状態の中、法律や制度で国を治めるという当時では新しい考えを考案した聖徳太子は、何者なのだろうか?
①聖徳太子は、ペルシャ人だった?
飛鳥寺の建立に関わった多くの職人の名前が、日本書紀に書かれている。その名前が、ペルシャ語で解読できるという。そして、百済人の名前ではないと言っている。
②聖徳太子の政治の協力者であった秦河勝が建立した広隆寺の十善戒に秘密がある。
下の広隆寺の十善戒と古代イスラエル人のモーゼの律法が、酷似する。
なぜ似ているかと言えば、秦氏が、前の記事でも書いた日本のルーツ古代イスラエル人だったからである。
ある資料には、弓月国の王が127県の民を連れて、日本にやってきたと書かれており、その名は”秦氏”と記されている。この秦氏の中心人物が、秦河勝である。
弓月国とは現在のシルクロード沿いのウズベキスタン辺りにあったという。弓月国の前は、北イスラエル国家の民族であったはずである。なぜなら、秦河勝が創建した京都の木嶋神社には、景教というネストリス系のキリスト教の影響を受けていることが書かれている。つまり、古代イスラエル人が信仰していたものと同じである
③法律や制度で国を治めるという発想は、何処から来たのか?
聖書 創世記には、万物創造の話が出て来る。その万物を創造した創造主なる神が預言者モーゼを通して、イスラエル人に告げられた律法が、聖書 申命記や出エジプト記に記述されている。
この詳細な律法は、今で言うところの刑法や民法にも値するほどの内容である。その後、古代イスラエル人たちは、この律法の下に生活していた。
例えば、古代イスラエルでは、長男が家を継ぐのが原則であると記述されている。長男が跡継ぎを残さずに死んだ場合は、次男が長男の妻と結婚しなければならない(申命記25章 家の存続)
妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときに限って、離縁状を妻に渡せば離婚できる(申命記24章)
④聖徳太子の北斗七星信仰とは?
この動画で、聖徳太子が住んだ斑鳩京が、ペルシャの宮殿と同じ傾き、北北西に20度の傾きで作られているという。
北斗七星を信仰するとみられる内容が、聖書 ヨブ記9章9節に、次のような記述がある。
「神は牡牛座(北斗七星)、オリオン座、すばる座、それに、南の天の室を造られた。」
「あなたは十二宮をその時々にしたがって引き出すことができるか。牡牛座をその子の星とともに導くことができるか。」
詳しくはわからないが、北斗七星を重要視していたことはうかがえる。
古代イスラエル人の起源を遡ってみると・・・・・・
・BC11世紀頃、今の中東辺りにいた古代イスラエル12部族が、有名なダビデ王によって統一国家となったが、その後、BC922年に北王朝10部族と南王朝2部族に分裂した。
・しかし、BC722年に北王朝は、アッシリア(今のイラン)に滅ぼされて、10支族の人たちは捕囚されてしまう
・そして、BC586年に南王朝は、バビロンに滅ぼされて、2支族は捕囚される
・バビロン帝国は、70年後、ペルシャの時代になっている
・70年後のペルシャの時代に捕囚が解放されて、或る者たちはイスラエルへ帰り、また或る者たちはペルシャに残るものもいた
以上のことから、聖徳太子が、古代イスラエル人を先祖に持つ人物であり、それ故に先祖の信仰していた聖書の内容を読んでいた、或は知っていた可能性があることから、聖徳太子は古代イスラエル人である。
従って、聖徳太子とその協力者秦氏は、法律や制度で国を治める術を、聖書だけではないだろうが、聖書からも学んでいた或は知っていただろう。
このように、聖書は、ただ単にキリスト教の聖典というものではない。われわれが住む日本のルーツを知るための最大のツールであると認識している。聖書を読めば、日本と古代イスラエルの共通点が見えてくる。見えてくれば、本当の日本の歴史が少しづつ理解できるようになる。
そして、学校で習った世界史を多くの人が理解できない所以の一つとして、この古代イスラエル人たちの痕跡を一切無視した流れだけを覚えさせられるがために、何の事だかわからない、となるのだと考えている。
なぜなら、古代イスラエル人たちは世界に散っていき、その先では必ず文明が分化が発達しているからである。
聖書を読めば、世界が見え、日本が見えてくるのではないだろうか
広隆寺





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