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zoom RSS 幸福の科学・大川隆法の霊言は本当なのか・・・??ホントの霊能者と怪しい霊能者を見分けるには

<<   作成日時 : 2018/08/30 05:32   >>

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★幸福の科学がその始まりとしている「大川隆法の自働書記」と、「大本教の開祖出口なおの自働書記」・・・なぜこんなに違うのか


@幸福の科学・大川隆法の始まりは、日蓮宗の日興上人から”イイシラセ”と告げる自働書記だと言っているけれども・・・
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大川隆法は、死んだ人の霊言集とか、生きている人の守護霊インタビューと称するものをよく出していて、上も亡くなった水木しげるさんを霊言として呼び戻し、妖怪ワールドを語ったとされている時のもの。


幸福の科学は、1981年3月23日、午後2時過ぎ、「イイシラセ、イイシラセ」と福音を告げる自動書記がその始まりとしているそうで、そのことを1986年に第一回の講演会の中で次のように言っています。


「1981年の3月23日に、はじめに私のところに尋ねて来たのが、日興商人という方で、この方は最初に私のところへ尋ねてきました。

ちょうど今日のようなうららかな日でして、春分ですかね、3月27日ですから春分であったと思います。日曜日の午後にですね、私はのんびりと何もしないで座椅子にかけて音楽を聴いていたんです。

三時頃ですかね、何か心の中がそわそわとしてきて、何かが私に何かを伝えようとしているというのが分かったんですね。何か胸の内から伝えるものがある、けれどもこれが何か分からない。何か霊的なものだということは分かったわけです、はっきりと。

それで、その時にまだ宗教なんか専門家でもないし、何も分かりませんから、とにかく何かを伝えようとしている人がいるということを感じたので、とりあえず身の回りにある物を探したんです。

そうすると、白いカードがあったわけですね。カードってありあすね、百枚くらいね。あれがあったので、それを取り寄せました。

そうすると次、何か知らないけど鉛筆を持ちたくなって、鉛筆を持ちました。そして、カードを目の前において、鉛筆を持つと、なんか手が動いていくんですね。そして、カードの上で鉛筆が走り出したわけです。

そして、何を書いているかなというと、これはカタカナでしてね、カタカナで”イイシラセ、イイシラセ”って書いてあるんですね、イイシラセ。

”まぁイイシラセは分かったからね、何を知らせるのか言ってみなさい”と私が言ってみても、やっぱり次のページをめくると、イイシラセって書くんですね。

三枚目を書きました、やはりイイシラセです。何枚でもイイシラセって書くんですね。

私もとうとう困ってきちゃってね、
”もうイイシラセはいいから、あんた誰か名乗ってみなさい。誰か来ているのは分かってる。
霊的なものもあるというのも私は知っています。だから、あなたが霊であることは分かってる。
自働書記を書いているのも分かっている。だから、誰かはっきり言いなさい、名前を。”
と、その時そういうふうに言ったんです。

そうすると、最後に署名しましてね、カードの10枚目ぐらいにね、イイシラセばっかりさんざん書いてきて、最後にカタカナでニッコウと書いているわけです。

で、ニッコウって私は全然分からなかったんです、華厳の滝は知ってますけどね。

ニッコウ、誰かなと思って、よく考えてみると、にっこうぼさつとかげっこうぼさつ、がっこうぼさつか知らないけど、奈良かなんかにありますよね、あの類かと思ったわけです。

それで、手近に広辞苑があったので、辞書をひいてニッコウって調べたわけです。

すると、にっこうぼさつもあったけれども、そうじゃなくて、どうやら日蓮さんのお弟子で日興上人という方がいらしたんですね。

日向さんという方ももう一人いっしゃいますけどね、でも日興さんという方がいらして、これかと思ったんですね。
それで、そういう方が出てきたから、てっきり日蓮宗系だなって思ったんですね。

日蓮宗っていうと、創価学会すぐ思いますね。

この中にも創価学会の方もいらっしゃるから、悪口を言いたくないんですけどね、創価学会っていってもそれほど良いイメージをもっていなかったんですね。

創価学会か困ったな、過去世で日蓮宗でもやっておったのかなって思ったわけですね。

最初は日光さんだったけど、そのうち日朝さんと名乗る方から最初通信があったんですね。ところが、この人は本当は日朝さんじゃありませんでした。

日朝さんというのは、日蓮さんの六老僧の一人ですけどね、最初はそういう名前を語って通信した霊がありました。

日朝さん、これも調べてみたら、日蓮さんの本を読んでみたら、六老僧とあって、日朗、日持、日興、日向、日朝、色々いますね、六人いたわけです。

この中の一人らしいなということは、調べて初めて分かった。

日興上人が出て、にっちょうが出て、そうすると私は誰かなって考えたら、GLAの本を読んでる人もいると思うけど、高橋信次さんが色々本を書いていますけど、日蓮上人はずいぶん悪口を言われているみたいだけど、もしかしてこの人かなと思ったわけです。

こういうふうに日蓮宗の人が出てくるから、もしかしたらその人かな、その割にはGLAなんかでは随分地獄に堕ちたなんて言われたこともあったりして、随分酷いことをやってるようですから困ったなと思ったわけです。

ところが、日朝さんて人はしばらくすると違うなと思ったんですね、これは違う、もう日蓮上人だって分かったんですね、その通り。それは一二週間経ってからでした。

最初から日蓮上人だって言うと誰も信用しない、日蓮上人が通信したなんて誰も信じませんね、私が精神病院に行っている方が早いかもしれない。

だからまず言わなかったわけね。お弟子さんという形でまず来たわけです。」




幸福の科学・大川隆法の始まりは、日蓮宗の日興上人から”イイシラセ”と告げる自働書記だと言っているけれども、なんだかイイシラセ・イイシラセって、具体性がないなと思ってしまいます。

自働書記といえば、もっと昔、明治にできた大本教の開祖・出口なおも自働書記から始まったそうですが、出口なおの自働書記はどうだったのか、そういうことが起きる前後を見てみると・・・





A”艮の金神”から「筆をもて」と言われて始まった、大本教の開祖出口なおの自働書記とは・・・


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1892(明治25)年、出口なおが57才(数え年)であった旧正月元旦(新暦1月30日)の夜、なおはふしぎな夢を見ました。
その夢は、厳かで美しい宮殿で尊貴な神々に会う夢で、同じような夢を毎夜見たそうです。

旧正月5日(新暦2月3日)の夜遅く、突然、なおは腹の底から太い凛とした男神のような声で叫びました。

それは、なおの長女よねが嫁いだ先の大槻鹿造宅で狂乱状態であったので、なおが長女よねを見舞いに行って遅く帰って来た時のことです。

なおは日頃はやさしい声であるのに、力のこもった厳しい声で、「西町のおよね姉さんとこへ行って、はやく改心するように三六お灯明をあげと申してこい」となおの娘りょう(12才)とすみ(9才)に命じました。

りょうとすみは驚いて大槻の宅へ行き、鹿造に母なおの言葉を伝えました。

帰ってみると、なおは、凍てつくような寒夜の井戸端で一心に水をかぶって身を清めていたそうです。

水行が終わると、なおは怖れとおどろきで立ちすくんでいる二人にむかって、「それはご苦労であった。はやくおやすみ」と、平常のいつくしみ深い声で言ったそうです。

なおの帰神は、こうして始まりました。

なおに帰神した神の命ずるままに毎晩水行を続けて、激しい帰神のために、そこから13日間は食事をとることもできなかったようです。

帰神が起こると、なおは自分の身体が非常に重くなり、力が満ちてくるような感じを覚え、背筋が伸び、やがて身体は反り加減になりに振動を始めました。

顎は引き締まり、眼は輝いて、おもむろに腹の底から、威厳ある大きな声が出ました。

この声はなお自身が意識しないものであって、押さえようとしても、どうしても押さえることはできなかったそうです。

なおは、昼夜の別なく断続して帰神状態となり、帰神が終わるとしばらくは魂が脱け出たような疲労を覚えて、平常の様子に戻りました。

なおは食事もとれず、時には夜中も眠れないこともあったそうです。

なおは、突如として自分にかかった「神」について思い悩み、しばしば神との問答をくりかえしました。

この問答は、端から見れば自問自答の形であったそうで、神となおの問答の中で神はいつも「この方は艮の金神であるぞよ」と答え、そして「これからそなたを守るぞよ」「世界の人民よ、早く改心いたされよ」と答えたそうです。

けれども、なおはこの声の主は憑霊ではないか、自分を騙しているのではないかと悩み、近くの僧侶や呪術師に憑霊の退散祈祷を頼みました。

けれども、祈祷をする度に祈祷師らは、なおに帰神した神霊の威圧されて体が硬直し、なすすべもなく引き下がったそうです。

なおは結局、この艮の金神を信じ、それが命ずることに従うことにしました。

大声を出すことを恥じたなおは、この神に「声を出さないように」と頼まれると、神は「筆をもて」と言われました。

しかし、なおは読み書きができないので、「自分は読み書きはできない」と言うと、「あなたが書くのではない。この方が書く」と言い、なおが筆をとると、自動的に手が動いて”お筆先”を書くことになりました。

読み書きができないなおは、そのお筆先を読むことができないので、近所の人に判読を頼んだそうです。

お筆先を書き綴った期間は明治25年(1892年)から昇天する大正7年(1918年)までの27年間にも渡ったそうで、その量は半紙20万枚以上にも及ぶと言われています。

当時はまだ今のようなお筆先という単行本として発表されてはいなかったので、当時大本が発行していた「神霊界」という雑誌に、平仮名書きで綴られたお筆先を漢字交じりの文章で発表していたのだそう。

その筆先の原文はおよそ2万冊あると言われており、当時はその一部は時期尚早ということで誰にも見せられることはなく、公開されることもなかったそうですが、毎日の講演の時に修行者に見せたり、読んで聞かせたりしていたそうです。

「……この神は三千世界を立替え立直す神じゃぞ。三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ。この神でなければ、世の立替えはできぬのじゃ。天理、金光、黒住、妙霊先走り、とどめに艮の金神が現われて、三千世界の大洗濯を致すのじゃ。これからなかなか大謨なれど、三千世界を一つに丸めて万劫末代続く神国にいたすぞよ……」

大本では、一八九二(明治二五)年旧正月元旦の霊夢にひきつづいてはじまった出口なおの帰神をもって、その開教としています。




大川隆法は、日興が出てきたとか、日朝が出てきたとか、お弟子だんが先に出てきて、実は日蓮上人だったとか、なんだか意味が分かりません。

一方で、出口なおは、艮の金神が自分に神懸かったそうで、具体的です。

さらに、自働書記の内容も、大川隆法は”イイシラセ”、でも読み書きができなかった出口なおは”三千世界一度に開く梅の花”と、なんだか意味があることを言っているように受け取れます。

出口なおが本当に神懸かったかどうか、怪しいと思う人もいると思うけれども、二人の間には相当な違いがあるのはなぜなんでしょう・・・






★本当は霊なんて見えてなかった!?怪しい霊能者だと思う人たち


@江原


『週刊文春』2008年1月24日号の「江原啓之 インチキ霊視!?檀れいの「死んだ父親」が生きていた!」という記事で、江原啓之が「オーラの泉」に出演した女優・檀れいが出演し、その亡くなった父を「霊視」について疑問を投げかけていました。

江原は、「お父さんは『宝塚音楽学校受験』を理解し、見守っていた」と話しました。

けれども、この亡くなった父とは母と再婚した相手で檀の学生時代のことは知らない。

実際、檀の実父は今も生きていて、檀が宝塚に入学した頃まで一緒に暮らしていた。

江原氏はいったい誰を「霊視」していたのか・・・檀の地元の住人や友人らから疑問が噴出している。

話題は宝塚音楽学校への進学へと及び、進行役の国分太一が「両親は反対されなかったなですか?」と聞くと、壇は「『自分の好きな道に進みなさい』と小さい頃から言われていたので」と答えた。

そこに江原氏が「ふふふ・・・・そうじゃないです」と割って入り、「いえ、そうなんだけどそれは女の子と思ってなかったからね・・・お父さんそう言ってるの」「お父さんは寡黙な人だけど、寡黙にしてたのね、してただけで中身は要するにお見抜きですよ」「だから『あぁ、また始まった。ま、思うようにやりなさい』と」と亡くなった父な声を伝えたのである。

そして、宝塚の厳しい努力を積み重ねてきたという壇に、江原氏を通じて父から愛の言葉が届くという美談が続き多く視聴者が感涙にむせんだ。

ところが、この放送を見た壇の出身地の人々から疑問の声が噴出し、壇の高校時代の同級生が「彼女が『オーラの泉』に出るというので、楽しみにしていたんですが、江原さんが『死んだ父親』を霊視しているのでびっくりしました。壇さんのお父さんは、元気にこの町で生活していますよ。なぜあのような話になているのか、まったく理解できません」と語ったという。

壇の公式のプロフィールには、「京都府出身」とあるが、実際は高校を卒業し、宝塚音楽学校へ進学するまで兵庫県の小さな町で育ったという。

地元の住民が語る。「江原さんの番組は、放送当時、町で話題になっていました。その中でも、京都出身だと紹介されていましたが、間違いなくこの町出身です。小学校から高校までの同級生もたくさんいる。壇さんの家にはいろいろ事情があるようですけど、お父さんは、今も町役場で課長を務めています」番組を見た地元住民は、おおいに落胆したという。

実は壇の母親は、壇が宝塚デビューを果たした後、離婚し、京都府出身の男性と再婚、その義父が、交通事故で亡くなっている。

江原氏はいったい誰の声を伝えたのか。

ちなみに、江原氏は番組内で「壇れいの中身は男の子」という『霊視』を披露して、壇自身も「あっそうなんです!」と受け答えしていたが、実は壇は番組収録前に受けた雑誌のインタビューで、そのことをすでに話している。

記事のタイトルはスバリ「こう見えて、心は女、精神は男です」、江原氏はこの記事を元に『霊視』したのではないかと勘ぐりたくなる。

そこで最後に誰を『霊視』していたのか、江原氏に質問したが、「貴誌の編集方針に疑問があります。つきましては、貴誌の取材協力依頼は応じかねます」
との返答があったのみだったという。





A下ヨシ子


2010年1月、名古屋市在住の主婦が、2002年から2008年までの間に「浄霊代」の名目で肥後修験遍照院に約530万円を騙し取られたとして、同院と下ヨシ子らを相手取り、約950万円の損害賠償を求め、名古屋地裁に訴訟を起こしました。

名古屋地裁は、下氏と宗教法人に610万円の支払いを命じました。

2013年3月12日に控訴審判決が予定されていたけれども、判決日3日前の3月9日付で下ヨシ子らの控訴が取り下げられ、第一審の判決が確定しました。

被害者は、フジテレビの番組「奇跡体験!アンビリバボー」を見たことがきっかけで、霊能力者・福運アドバイザーを自称する被告「下ヨシ子」が管長をつとめる六水院・関西別院に電話をしたことから、今回の被害に巻き込まれました。

女性は体調不良などに悩み、02年から下氏が主宰する宗教法人「肥後修験遍照院(へんしょういん)」(熊本市、通称・六水院)の関西別院(京都府宇治市)で除霊などを受け始めました。

そして、「守護霊のパワーアップのため」などと金をたびたび要求され、08年までに計約730万円を支払ったそうです。

判決は「家族の健康などに対する不安や畏怖(いふ)を抱いていた女性の心理状態につけ込んで、未成仏霊を鎮める儀式を継続的に受けざるを得ないようにした」として、反社会的で公序良俗に反すると認定した。

その手口は、相談者を不安な心境に陥れ、マインドコントロールを行なって多額の金員をせしめるもののようです。

六水院に通うと、相談→浄霊→守護霊→守護神一支配神という最低限のコースでも、一人最低、246万円(現在は253万円)がかかることになるようで、家族まで含めれば、これに倍数がかかることに。

今回の被害者の場合、守護霊のパワーアップだけでも10回位以上、守護神のパワーアップだけでも10回以上させられていたそうで、これらのコースにかかる費用は、書籍でもホームページでも事前に公表されていないので、消費者には事前に知らされていない。

消費者は、六水院に通さわれて、今の不幸の原因を解くための未成仏霊を成仏させるという「浄霊」だけでいいはずだったのに、その後のさまざまなコースを受け続けることが必要であることを後で知らされることになります。

霊による詐欺と脅しで、対象者に依存心と恐怖心を植えつけ、対象者の心をからめとるやり方のようです。




このお二人については怪しいという意見もたくさんあるようで、上のような出来事を読めば、インチキ霊能者だと思わざるを得ません。

ご自身に霊界のことを色々と教ええてくれる指導霊がいるなどとも言っていないようですし、霊の見え方というのもどこか空想で言っているように見えます。

一方で、このお二人と同じく、以前テレビに出ていたという宜保愛子さんについてはどうだったのか、ご自分がどのように霊が見えるのか、霊界のことを色々と自分に指導してくれる霊が何なのかについて、具体的に述べていました。






★宜保愛子に霊界のことを教えていた霊とは、そしてどのように霊が見えていたのか・・・


@宜保愛子に霊界のことを教えていた霊とは


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宜保さんは体が非常に弱かったそうで、21歳の雪がちらちらと降る寒い冬の或る日のこと、朝から気分が悪くてずっと寝ていて、午後からもやはり熱が下がらず気分が悪く、どうしようもないような状態の中で、何か体がぐっと地面の中に沈んでいったようなそんな錯覚を持っていたそうです。

すると、後頭部のところからもう一人の自分が出てきて、そのもう一人の自分が鈍い速さで、天井の方に向かって大きな磁石にでも引き付けられていくような感じで、ふわっと上がっていきました。

その時に、体が動いていたというのもはっきり記憶しているそうです。

そして、隣の方に出て行って、玄関のところに来た時に、立って降りて扉を開けると、海軍の兵隊の軍服を着ていた少年兵が立っていたそうです。

その少年は昭和19年に戦争中に亡くなった兄であったそうで、その兄の後ろには15歳で亡くなった従姉妹も立っていて、宜保さんを見ていたそうです。

宜保さんは黙って、兄の後ろをついていき、とぼとぼとついて行っている途中、ふっと右の方を見ると、そこに白い菊の花が咲いているなと思いながら歩いていました。

ちょうどその時、家のお仏壇に菊の花を立てていたそうです。

あまり早くもなく遅くもない川のところにぶつかった時、その川の向こうの方に、15歳で亡くなった弟が立っていました。

弟は”ダメだおねえちゃん、きてはだめだ”と、必死でそのサインを送ってくるのを宜保さんはじっとみていると、母の”愛子”と呼ぶ声がかずかに聞こえてきました。

目の前には母の顔があり、宜保さんはうつろな目で天井を眺めていたというのが宜保さんの臨死体験だそうです。       



宜保さんは臨死体験を二度もしたと言っていますが、それ以外に霊から色々なメッセージを受け取っていたそうです。

15歳で亡くなった宜保さんの弟は、色々な霊に対する霊の供養の大切さを一生懸命に宜保さんに語りかけてくれたそうです。

その時には必ずと言っていいくらい、
”おねえちゃん、僕が歩いているところはこんなところなんだよ。”
そう言いながら、宜保さんが幼い頃に非常に見えにくくなった左目の方に、その霊界というのを見せてくれたという。

宜保さんの心はこちらにあっても、弟は霊界を本当にテレビの写真のように、
”おねぇちゃん、人間っていうのはこうやって歩いているでしょ?(人生を)
その時に、例えばねぇなぜあなたは死んだの、どうして私をおいていったの、そういう恨み辛みを死んだ人に言うもんじゃないのよ。
するとね、こうやって霊が一生懸命歩いているその道で、どーんと立ち止まって、後ろを振り向いて家族の安否だけを心配してしまうのよ。”

そこで、宜保さんが学んだことは、死んでしまった人に対して”なぜ死んだの”という問いかけは悪いということを教わったという。

それよりは、仏様がより気持ちよく、より素晴らしい気持ちで輪廻転生への道を、輪廻転生というのはこの世からあの世へまた次の世代に生まれてくることで、その輪廻転生を早く迎えることができるように、仏様にとって霊界が本当に快いところであるように、その努力は生きている私たちがしなければならないということを弟から教わりましたと言っていました。





A宜保愛子はこうして霊が見えていた


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脅威の霊能者として活躍されていた宜保愛子さんが、ある番組で次のように言っていました。

逸見アナウンサー「宜保さんに霊視についてお話を伺いたいのですが、宜保さんの目にはどういうふうに映っているのか、例えばスクリーンみたいなものがあるんですか?」

宜保さん「スクリーンっていうよりも、ちょうどテレビの画面を見ているように、その人の後ろの方にその人をいつも護ってくれている人とか、例えば悲しがっている仏さまがいるとすれば、その方がずっと後ろの方に見えてくるんですけれども、
ちょっとテレビの画面よりは薄いんですよね、色が。」

女性アナウンサー「実際にここで逸見さんをちょっと霊視してください。」

宜保さん「逸見さんには弟さんがついていらっしゃいまして、ちょうど今私が見ていますけれども、30センチくらい後ろに逸見さんの弟さんが非常に恰幅の良ろしい方が。」

逸見さん「11年前に、相撲をやっていたような体格の弟が胃がんで亡くなっているんですよ。で今日、一緒に来てる?」

宜保さん「ええ、今日来てます。そして、いつも逸見さんを助けよう、色んなことにね、助けよう助けようとしてくださっているんですね。」

女性アナウンサー「今日もいらっしゃるんですね?」

宜保さん「ちょうど30センチくらい後ろ。」




これは、テレビによく出ていた宜保愛子さんの例ですが、もう一人、霊的なものが見えていた人の例を挙げたいと思います。

また大本教の話になるのですが、大本教の二代教祖の一人という出口王仁三郎も霊的なものが見えていたそうで、出口王仁三郎はどのように見えていたのか、そして自分に霊界のことを指導していた霊がどういう存在だったのかについて、次のように言われています。






★出口王仁三郎は霊がどう見えていたのか、そして指導した霊の存在はどうだったのか


@出口王仁三郎は松岡芙蓉仙人と称する天使に導かれた


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霊魂の存在を認めている大本教の二代教祖の一人、出口王仁三郎も霊能力があったそうで、そうした霊的なものを見るようになったのには、出口王仁三郎を導いた霊の存在があったと言われています。

出口王仁三郎、幼名・上田喜三郎(うえだきさぶろう)は、京都府亀岡の貧しい小作農の長男として生まれ、12歳で小学校の代用教員をして教鞭をとるなど、幼少の頃は周囲の人から一目置かれていたようです。

その後、明治31年、26歳の時に、亀岡の霊山高熊山で一週間修行を行い、過去・現在・未来・神界のことなど、さまざまな霊界の様子を見てきたと言われています。

でも、なぜ亀岡の霊山・高熊山で一週間の修行を行なうことになったのでしょうか・・・

そのきっかけは、出口王仁三郎の父が死ぬ前の出来事まで遡ります。



或る日、父の吉松は或る時、「屋敷の椋の木は鬼門に当たるが、今の世にたたりなどということもあるまいから、伐って薪を作ってくれ」と喜三郎に頼みました。

喜三郎もたたりなどあるものかと思い、屋敷の丑寅の隅にある椋の大木の芯を伐り落としたけれども、そのはずみに隣家の小島長太郎の土蔵の瓦を二、三〇枚ばかりめくってしまいました。

さっそく新しい瓦を買って弁償しましたが、隣家の小島が色々な苦情を持ち込んで困らせたそうで、父・吉松はそのことをたえず気に病むようになり、そのためにだんだん病が重くなっていきました。

親類や友人たちは、口々に「吉松の死は丑寅の隅にある木を伐った鬼門のたたりだ。七人までたたるというから、はやく神様へうかがってもらえ」と言ったそうです。

喜三郎もそれを無視するわけにもいかず、易者に見てもらったところ、やはり丑寅の木を伐ったことと、未申の方角にある池がたたっているとのことであったけれども、たたりなどを素直に信じる気にもなれなかったそうです。

しかし、半信半疑ではいけないと思い、仕事の余暇に亀岡五軒町の神籠教会、余部の大元教会などを訪ね、いろいろと質問したけれどもどの教会でも納得のいく答えは得られなかったそうです。

そこで、神から教を直接に受けるより他はないと思い、今度は産土神社である小幡神社に参って、教えを授かろうと毎夜12時から午前3時頃まで熱心に祈願をしました。

すると、八月下旬からはじめて、ちょうど三七日の上がりの日に、喜三郎は、丑寅鬼門の金神と未申の金神の由来、さらに、宇宙の真相、神と人との関係などについて、種々の神教を産土の神からさずかり、かねての疑問を氷解することができた。

そして、この時営んでいた牛乳屋は一時人に任せて、各教会を訪ね、神から授かった教を説いてみたけれども、各教会の人々は相手にしてくれないし、この地方で学識があると言われている人々にも訪問したけれども門前払いにされたりしました。

はげしく喜三郎の説を反駁し、「山子である」とののしる者もあったそうで、平素親しい友人までが疑ったり、悪評をたてたりしたが、喜三郎はそれに屈することなく、あくまで真理を明らかにしようと努力をかさねた。

また、色々な教会を訪ねて教えを説こうとするだけではなく、自らが小作農としての苦悩を味わっていたからか、ある時などは弱い者を助け強い者をくじき、いわゆる任侠の人になってやろうと考えて、無頼漢を向こうにまわして喧嘩をしたり、仲裁をかってでたりもしていたそうです。

仲裁がうまくゆくと、喧嘩の仲裁は喜三やんに限るというふうにおだてられ、侠客気どりになり、ついにどこかに喧嘩はないかと探して歩く程だったそうです。

そうした喧嘩は、喜三郎は父の死後、わずかの間に、土地の侠客を相手に9回も衝突を起こし、無頼漢から恨みを買ってしまった。

その九回目の喧嘩は、1898(明治31)年2月28日(旧2月8日)の夜に起こりました。

その日、27才の喜三郎は、大石某の家で開かれた浄瑠璃の温習会に加わり、かみしもをつけて「絵本太功記、尼ヶ崎の段」を語っていました。

その時、以前に喜三郎が喧嘩の仲裁に入ったために顔がつぶれたと恨みに思っていた宮相撲取りの若錦が4、5人の子分を連れてきて、喜三郎を高座から曳きずりおろして、近くの桑畑へかつぎこんで袋叩きにしました。

喜三郎は、祖母や母にいらぬ心配をかけまいと、郷神社(現、神明社)の前に借りうけてあった小屋に傷つけられた身を隠しました。

そして、その翌日、富士山の木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の神使(しんし)・松岡芙蓉仙人(まつおかふようせんにん)と名乗る天使の導きで、喜三郎は近くの霊山・高熊山(たかくまやま)に入っていき、一週間の修業をしたという。

またこの一週間の霊的修行によって、喜三郎は天眼通(てんがんつう)・天耳通(てんにつう)・自他神通(じたしんつう)・天言通(てんごんつう)・宿命通(しゅくめいつう)などを得たと言われています。

松岡芙蓉仙人に導かれた高熊山の修行で、霊界がどういうものかを見てきたそうです。



その高熊山での修行がどういうものだったのかについて、出口王仁三郎の著書である霊界物語の第一巻には、次のように書かれています。

「高熊山の修行は一時間神界の修行を命(さ)せられると、現界は二時間の比例で修行をさせられた。しかし二時間の現界の修行より、一時間の神界の修行の方が数十倍も苦しかった。現界の修行といっては寒天に襦袢(じゅばん)一枚となって、前後一週間水一杯飲まず、一食もせず、岩の上に静座して無言でをったことである。」

「神示のまにまに高熊山の出修したる自分の霊力発達の程度は、非常に迅速であった。汽車よりも飛行機よりも電光石化よりも、速やかに霊的研究は進歩したやうに思うた。たとへば幼稚園の生徒が大学を卒業して博士の地位に瞬間に進んだやうな進歩であった。過去、現在、未来に透徹し、神界の秘奥を窺知しうるとともに、現界の出来事などは数百年数千年の後まで知悉し得られたのである。」(霊界物語第1巻第3章より)





A出口王仁三郎はこうして霊が見えていた




また、出口王仁三郎がどのように霊が見えていたのかについて、大本の本の一つ「三鏡」には次のように書かれていました。


「王仁の霊眼を二六時中見えて居るもののやうに誤解して居る者があるが、それは違つて居る。

現界の事物だけ見て居つても沢山なのに、霊界まで始終見えて耐まるものでは無い。唯王仁が何処を見たい、彼処の事を知り度いと思ふ時、神様は何時でも見せて下さるのである。

例へば今お前の履歴を知り度いと思へば、それと同時にお前の後に当つて、活動写真の如く一代記が現はれて来るのである。

それだから王仁は別段人の経歴なんか聞く必要がないのである。

初めての訪問者などが一生懸命に誇張して自己紹介をして居ると、其後に全く反対現象が現はれて来る時なんか、王仁はをかしくて思はず失笑する事がある。

王仁を瞞さうとするのは無理である。

が王仁はさうした努力をして居る人を見ると気の毒になつて来るので、暫くの間瞞されて居てやるのである。其人が自然に悟るまでな……。

或時にさもさも善人らしく自己紹介をやつて居る人の後に、殺人の場面がありやかに現はれて来たのには一寸驚かされた。

だが心の鬼にせめられると見えて、其人は着かず離れずといふ程度ではあるが、信仰に入つて以来、神様を一生懸命拝んでゐるやうだ。

やがて罪の贖ひが出来た時は立派な人として更生するであらう。

王仁の霊眼は活動写真と云ふよりもトーキーの方だな、声も聞えて居るのだから。

名所旧蹟などへ御案内しませうなど云はれると、おつきあひに行かぬ事もないけれど、ベツドの上に横はつて見て居る方が便利である。

又お前達の行動は、守護神さんが報告に来られるから、霊眼で見るまでもなく、よう知つて居る。」




宜保愛子さんは、「見えなくするということもできるんです。指輪をしたり、貴金属をつけていますと、見ないで済みます。」と、見えなくすることもできる言っています。

出口王仁三郎も、「王仁の霊眼を二六時中見えて居るもののやうに誤解して居る者があるが、それは違つて居る。」と、いつも見えるわけではないようです。

また、宜保愛子さんは、「ちょうどテレビの画面を見ているように、その人の後ろの方にその人をいつも護ってくれている人とか、例えば悲しがっている仏さまがいるとすれば、その方がずっと後ろの方に見えてくるんですけれども」「ちょっとテレビの画面よりは薄いんですよね、色が。」といった具合に霊が見えると言っています。

一方の出口王仁三郎も、「今お前の履歴を知り度いと思へば、それと同時にお前の後に当つて、活動写真の如く一代記が現はれて来るのである。」「王仁の霊眼は活動写真と云ふよりもトーキーの方だな、声も聞えて居るのだから。」と、その人の後ろの方に画面と声が見え聞こえると言っています。

お二人とも、霊の見え方に共通点があるようで、偶然かもしれないけれども、霊界というのは霊というのは存在すると考えることができるかと思います。

でも、見える人がいると言っても、霊に関することを利用して嘘をつく人もいるので、気をつけましょう








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