もも先生のお料理と時事問題

アクセスカウンタ

zoom RSS 大本教の内輪揉め・第三次大本事件を参考に考える、連携をとりながら両者を離間させている存在とは

<<   作成日時 : 2018/09/08 11:43   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 500 / トラックバック 0 / コメント 0





画像



明治大正に勢力を拡大させていった大本は、教団内部でその教えに反するような不穏な動きがあって、そうした動きをとった人たちが教団と争うという事件が昭和50年代にありました。

その大本とはどのようにしてできたのか、そして大正時代に起きた弾圧事件、昭和50年代に起きた内部争いとは何だったのか考えてみたいと思います。







●”艮の金神”から「筆をもて」と言われて始まった、大本教の開祖出口なおの自働書記


画像



大本教のはじまりは出口なおが自働書記だそうですが、それは、1892(明治25)年に出口なおが57才(数え年)であった旧正月元旦(新暦1月30日)の夜から毎夜、厳かで美しい宮殿で尊貴な神々に会う不思議な夢を見たことから始まります。

そして、旧正月5日(新暦2月3日)の夜遅く、突然、なおは腹の底から太い凛とした男神のような声で叫びました。

なおは、自分に帰神した神の命ずるままに毎晩水行を続けて、13日間は食事をとることもできなかったようです。

帰神が起こると、身体が非常に重くなり、力が満ちてくるような感じを覚え、背筋が伸び、やがて身体は反り加減になりに振動を始め、顎は引き締まり、おもむろに腹の底から威厳ある大きな声が出ました。

この声はなお自身が意識しないものであって、押さえようとしても、どうしても押さえることはできなかったそうです。

なおは昼夜の別なく断続して帰神状態となり、帰神が終わるとしばらくは魂が脱け出たような疲労を覚えて、平常の様子に戻りました。

それで、なおは突如として自分にかかった「神」について思い悩み、しばしば神との問答をくりかえしました。

この問答は、端から見れば自問自答の形であったそうで、神となおの問答の中で神はいつも「この方は艮の金神であるぞよ」と答え、そして「これからそなたを守るぞよ」「世界の人民よ、早く改心いたされよ」と答えたそうです。

なおはこの声の主は憑霊ではないか、自分を騙しているのではないかと悩み、近くの僧侶や呪術師に憑霊の退散祈祷を頼みました。

けれども、祈祷をする度に祈祷師らは、なおに帰神した神霊の威圧されて体が硬直し、なすすべもなく引き下がったそうです。

明けて明治26年、綾部でたびたび原因不明の火事が起こっていた頃、「よき目ざましもあるぞよ。また悪しき目ざましもあるから、世界のことを見て改心いたされよ。いまのうちに改心いたさねば、どこに飛び火がいたそうも知れんぞよ」と大声で叫んでいたため、放火の容疑で留置場に入れられてしまいました。

その後、真犯人が見つかり、なおは放免されましたが、長女よねの夫である大槻鹿造によって強引に座敷牢に40日間も監禁されました。

帰神中に大声をあげて叫ぶことが入牢のそもそもの原因になったので、なおは神に「大声で叫ぶのはもうやめてほしい」と言うと、神は「筆をもて」と言われました。

「あなたが書くのではない。この方が書く」と言い、なおは文字を習ったことはなく書き方を知りませんでしたが、手が勝手に動き、半紙に筆で文字を書きしるしました。

画像


それは81歳で昇天するまでの27年間で半紙20万枚にも達しました。

これが、初めの頃の筆先の一つです。

「……この神は三千世界を立替え立直す神じゃぞ。三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ。この神でなければ、世の立替えはできぬのじゃ。天理、金光、黒住、妙霊先走り、とどめに艮の金神が現われて、三千世界の大洗濯を致すのじゃ。これからなかなか大謨なれど、三千世界を一つに丸めて万劫末代続く神国にいたすぞよ……」

大本では、一八九二(明治二五)年旧正月元旦の霊夢にひきつづいてはじまった出口なおの帰神をもって、その開教としているようです。






  
●出口王仁三郎は、亀岡の霊山・高熊山での一週間の修行によって霊能力を得た


画像



霊魂の存在を認めている大本教の二代教祖の一人、出口王仁三郎も霊能力があったそうで、そうした霊的なものを見るようになったのには、出口王仁三郎を導いた霊の存在があったと言われています。

出口王仁三郎、幼名・上田喜三郎(うえだきさぶろう)は、京都府亀岡の貧しい小作農の長男として生まれ、12歳で小学校の代用教員をして教鞭をとるなど、幼少の頃は周囲の人から一目置かれていたようです。

その後、明治31年、26歳の時に、亀岡の霊山高熊山で一週間修行を行い、過去・現在・未来・神界のことなど、さまざまな霊界の様子を見てきたと言われています。

でも、なぜ亀岡の霊山・高熊山で一週間の修行を行なうことになったのでしょうか・・・そのきっかけは、出口王仁三郎の父が死ぬ前の出来事まで遡ります。



或る日、父の吉松は、「屋敷の椋の木は鬼門に当たるが、今の世にたたりなどということもあるまいから、伐って薪を作ってくれ」と喜三郎に頼みました。

喜三郎もたたりなどあるものかと思い、屋敷の丑寅の隅にある椋の大木の芯を伐り落としたけれども、そのはずみに隣家の小島長太郎の土蔵の瓦を2、30枚ばかりめくってしまいました。

さっそく新しい瓦を買って弁償しましたが、隣家の小島が色々な苦情を持ち込んで困らせたそうで、父・吉松はそのことをたえず気に病むようになり、そのためにだんだん病が重くなっていきました。

親類や友人たちは、口々に「吉松の死は丑寅の隅にある木を伐った鬼門のたたりだ。七人までたたるというから、はやく神様へうかがってもらえ」と言ったそうです。

喜三郎もそれを無視するわけにもいかず、易者に見てもらったところ、やはり丑寅の木を伐ったことと、未申の方角にある池がたたっているとのことであったけれども、たたりなどを素直に信じる気にもなれなかったそうです。

しかし、半信半疑ではいけないと思い、仕事の余暇に亀岡五軒町の神籠教会、余部の大元教会などを訪ね、いろいろと質問したけれどもどの教会でも納得のいく答えは得られなかったそうです。

そこで、神から教を直接に受けるより他はないと思い、今度は産土神社である亀岡の小幡神社に参って、教えを授かろうと毎夜12時から午前3時頃まで熱心に祈願をしました。

すると、8月下旬からはじめて、ちょうど37日の上がりの日に、喜三郎は、丑寅鬼門の金神と未申の金神の由来、さらに、宇宙の真相、神と人との関係などについて、種々の神教を産土の神からさずかり、かねての疑問を氷解することができた。

そして、この時営んでいた牛乳屋は一時人に任せて、各教会を訪ね、神から授かった教を説いてみたけれども、各教会の人々は相手にしてくれないし、この地方で学識があると言われている人々にも訪問したけれども門前払いにされたりしました。

はげしく喜三郎の説を反駁し、「山子である」とののしる者もあったそうで、平素親しい友人までが疑ったり、悪評をたてたりしたが、喜三郎はそれに屈することなく、あくまで真理を明らかにしようと努力をかさねた。

また、色々な教会を訪ねて教えを説こうとするだけではなく、自らが小作農としての苦悩を味わっていたからか、ある時などは弱い者を助け強い者をくじき、いわゆる任侠の人になってやろうと考えて、無頼漢を向こうにまわして喧嘩をしたり、仲裁をかってでたりもしていたそうです。

そうした喧嘩は、父の死からわずかの間に、土地の侠客を相手に9回も衝突を起こし、無頼漢から恨みを買ってしまった。

中でも、1898(明治31)年2月28日(旧2月8日)の夜に起きた9回目の喧嘩は大変だったようです。

喜三郎が浄瑠璃の温習会の高座で語って油断している時に、以前に喜三郎が喧嘩の仲裁に入ったために顔がつぶれたと恨みに思っていた宮相撲取りの若錦が4、5人の子分を連れてきて、喜三郎を高座から曳きずりおろして、近くの桑畑へかつぎこんで袋叩きにしました。

喜三郎は、祖母や母にいらぬ心配をかけまいと、郷神社(現、神明社)の前に借りうけてあった小屋に傷つけられた身を隠しました。

そして、その翌日、富士山の木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の神使(しんし)・松岡芙蓉仙人(まつおかふようせんにん)と名乗る天使の導きで、喜三郎は近くの霊山・高熊山(たかくまやま)に入っていき、一週間の修業をしたという。

画像


またこの一週間の霊的修行によって、喜三郎は天眼通(てんがんつう)・天耳通(てんにつう)・自他神通(じたしんつう)・天言通(てんごんつう)・宿命通(しゅくめいつう)などを得たと言われています。

松岡芙蓉仙人に導かれた高熊山の修行で、霊界がどういうものかを見てきたそうです。

その高熊山での修行がどういうものだったのかについて、出口王仁三郎の著書である霊界物語の第一巻には、次のように書かれています。







●出口なおと出口王仁三郎が出会い、大本教の原型が誕生した


画像



高熊山の修業から帰った喜三郎は、今までの牧畜業をやめて、霊的修業と宣教に専念するようになりました。

すると、喜三郎はスサノオ尊の分霊だという小松林の命から、「一日も早く西北の方をさして行け、神界の仕組がしてある。お前の来るのを待っている人がいる。何事にもとんちゃくすることなく、すみやかにここをたって園部(そのべ)の方へ向かって行け。」という神示を告げられたそうです。

この神示を受けて、喜三郎は生まれ故郷・亀岡の穴太(あなお)を出る決心をして、祖母や母に別れを告げて、山陰街道を園部をめざして出発しました。

そして、亀岡から8キロほどの船井郡の入口の虎天堰(とらてんいね)の側に来た時、そこのかたわらの茶店で休んでいると、「お前さんは、印地いじ(現亀岡市旭町)の里の狐でも調べとる人かね」と声をかける者がいました。

喜三郎は、「私は神さまを判ける役で、さにわ(審神)をするものです」と答えました。

それを聞いた茶店の女主人は、「お客さんは、神さまを判けるといわれましたが、じつはおりいってたのみがございます。わたくしは綾部生まれのものですが、実家の母に神憑きがおこりまして、もう六年にもなりますのに、いっこうにおさまりません。母についている神さんがいいますには『この神を判ける方は東から来られる』というので、こうして茶店を出して三年も待っているのです」という。

そして、綾部へ行って、母に憑いている神を判けてもらいたいと頼み、母が書いているという平がながきのバラバラの半紙をいく枚か持ってきて見せました。

喜三郎は、半紙に書きこめられた「うしとらのこんじん」の筆先を読み、自分が高熊山修業で見聞した内容と共通した点のあることや、また幽斎での神示を思いうかべて、感ずるところが大いにあったので、「近いうちに行ってみましょう」と約束して茶店を出ました。

この茶店の女主人というのは、開祖・出口なおの三女で、福知山の八木の福島寅之助に嫁いでいたひさでした。

ひさは、当時京都で開催されていた内国勧業博覧会の見物にでかける人をあてこんで、虎天堰のそばに茶店を出し、「神のお告げの人」を待ちうけていたのでした。





明治31年(1898年)10月8日(旧8月23日)、綾部の裏町(現在の若松町)で、喜三郎ははじめて出口なおと出会いました。

その日の喜三郎の姿は、陣羽織をきて、口にはおはぐろをぬり、手にはコウモリ傘とバスケットをもつという、念のいったいでたちでした。

喜三郎の初参綾当時、出口なおは金光教の傘下で活動していて、病気治療や日清戦争の予言により「綾部の金神さん」として地元の評判を呼び、小規模の信者グループが形成されていたけれども、金光教が出口なおに神懸かりした艮の金神を世にだしてくれないことを残念に思っていました。

そのため、出口なおとその信者が、金光教とつながりのない有能な活動家を求めていたそうです。

けれども、この頃、喜三郎は稲荷講社で活動していたので、稲荷に出口なおが不信感を持ってしまい、初対面は物別れに終わりました。





それから後、喜三郎が出口なおと出会った次の年、明治32年(1899年)、宣教活動の合法化をはかろうと考え、まず稲荷講社の許可を得て、公認結社である稲荷講社の分会という形式で稲荷講社「金明霊学会」(きんめいれいがっかい)を設立しました。

どうして稲荷講社の分会という形式をとったのかというと、帝国憲法第28条に「日本臣民は安寧を妨げず、臣民たるの義務に背かざる限りにおいて信教の自由を有す」、第29条に「日本臣民は法律の範囲内において、言論著作印行集会結社の自由を有す」と明記されていたけど、法律の範囲内とあるように、公認の教会の管下になって開くのでないと行政上許可してもらえなかったからだそうです。

その後、金明霊学会を大日本修斎会に改組して、機関誌を発行し、神苑の拡張整備を進め、いよいよ大本は全国的な活動の時代に入ったのです。

明治43年(1910年)に、喜三郎は出口家の養子手続きを終え、「上田喜三郎」から「出口王仁三郎」に正式に改名しました。

神苑をどんどん整備し、金竜海(池)、統務閣(開祖の居宅)、金竜殿(道場・拝殿)などが建設されていき、大正5年(1916)、教団名が「皇道大本」(こうどうおおもと)に改称されました。







●国家転覆を企んでいるとして弾圧された、第一次大本事件と第二次大本事件


画像



開祖・出口なおが金光教の傘下で活動していた組織に、出口王仁三郎が加わり、金光教から独立して大本と改めて活動するようになってから、大本の教勢は飛躍的に伸びていきました。

1919年(大正8年)11月18日には亀山城址(明智光秀の居城)を買収し、1920年(大正9年)、綾部で大規模な神殿の建造を始め、大阪の有力新聞だった大正日日新聞を買収して言論活動にも進出していきました。

大正14年には、出口王仁三郎は、宗教の元は一つであるという「万教同根」「人類愛善」という理念の下、世界の宗教団体が提携して、世界が平和に治まる様に協力していかなければならないということで、”人類愛善会”や”世界宗教連合会”という組織を発足しました。
 
また、出口王仁三郎には、”昭和神聖会”という愛国団体も発足し、宗教団体や右翼団体、またあらゆる団体と提携し、協力していきました。

しかし、色々な団体と協力し、大本の思想に共鳴する人々が約900万人に達し、社会に与える影響力が大きくなっていき、大本には武器弾薬が山ほど隠されているとか、鎮魂帰神(魂鎮めの修業)で片っ端から夢遊病者にされてしまうとか、武道に練達の青年が手ぐすね引いて待ち構えているとか、根も葉もない噂が流れました。

そして、当時の警察は大本が国家転覆を企んでいるとして、2回の弾圧が行われました。





一回目の弾圧は、1921年(大正10年)2月12日午前9時、綾部の大本の本部におよそ200人もの警官隊が突入しました。
 
その日、出口王仁三郎は大阪・梅田の大正日日新聞社に出張しており不在でした。
 
警官隊は、二代教主・出口澄子をはじめ幹部を集め、不敬罪および新聞紙法違反の容疑で家宅捜索をすると言い渡しました。

その家宅捜索は、土足で踏み込み、部屋の障子・襖を開けっ放しにして、押し入れ・タンス・本箱・机などを片っ端から引っかき回し、筆先・日誌・原稿・書簡・帳簿・写真など、およそ大本に関係ありそうなものは手当たり次第に押収して持ち去りました。

武器が発見されれば内乱予備罪を適用できるというので必死の捜索を行ったけれども、何も発見できませんでした。

続いて、京都府綾部の本宮山神殿については、神明造のため伊勢神宮を模したものと批判され、無願の神殿建築を禁止及び地方に縁故なき神社創立禁止を理由に大本側費用負担による破壊命令が下りました。

10月5日の第一審判決では、出口王仁三郎は不敬罪と新聞紙法違反で懲役5年、浅野和三郎は不敬罪で懲役10か月、吉田祐定(機関誌発行兼編集人)に禁固3か月・罰金150円の有罪判決が下りました。

審理は事実上2日間という異例の短さで、大本側は即日控訴、検察側も浅野の量刑を不服として控訴しました。

結局のところ、再審理中の1926年(大正15年)12月25日、大正天皇が崩御し、1927年(昭和2年)5月17日に免訴となりました。

でも当局は大本に対する警戒を緩めず、次の機会を伺っていました。





二回目の弾圧は、1935年(昭和10年)12月8日の未明、早朝4時に起きました。

武装した警官隊500人が綾部と亀岡の聖地を包囲急襲しました。

警官隊は、三代教主補・出口日出麿(37歳)を始め幹部信者を次々と拘束して警察署に連れていき、三代教主・出口直日(33歳)はその子供たちと共に軟禁されました。

留置された人の数は綾部・亀岡合わせておよそ300人にものぼります。
 
出口王仁三郎聖師(64歳)と二代教主・出口澄子(52歳)は、その日、島根県松江の島根別院に滞在していましたが、ここにも300人近い警官隊が水盃を交わした上で中へ踏み込み、不敬罪並びに治安維持法違反で王仁三郎を連行していきました。

警官隊は、大本が銃器や爆弾で武装しているものと考えていたようですが、実際には大本にはそんなものはなく、幹部も信徒も全員からの抵抗は無く、家宅捜索が進んでいきました。

捜索箇所は全国の大本の施設・信者の自宅などに及び、取り調べを受けた人は3000人にも及ぶそうで、検挙された人は987人で、そのうち起訴(不敬罪や治安維持法違反)されたのは王仁三郎、澄子、日出麿を始め61人にものぼります。

警察は、裁判前の時点で教団施設の全破壊を急いだため、翌1936年3月には大本と関連団体に対し、団体解散命令と建造物破却の命令を下し、これにより以後は大本の活動は一切禁止され、施設・建物は徹底的に破壊されることになりました。
 
綾部・亀岡の神苑内の建物240余棟を始め、全国およそ70カ所の別院・分院・分社の建物、そして王仁三郎の歌碑40カ所などが、あっという間に地上から消されていきました。
 
その対象はお墓や納骨堂などにも及び、また書画や陶器、家具、書籍、雑誌など、ありとあらゆるものが押収されて焼却されたり売却されたりしてしまったのです。

亀岡の天恩郷には月宮殿という石と鉄筋で造られた神殿がありましたが、1500発以上のダイナマイトを使って3週間もかかって粉々に破壊されました。



裁判は1938年(昭和13年)8月10日に京都地方裁判所で開廷し、検察は大本が国体を転覆し世界覆滅を計る陰謀結社、王仁三郎は皇統を否定し世界の独裁者とならんとした「弓削道鏡以来の逆族」と主張しました。

1940年(昭和15年)2月29日の第一審判決において、裁判長は検察側の主張を認めて被告55人に有罪(61人中死亡5人、心神喪失公判停止1人)、王仁三郎に無期懲役、他は2〜15年の懲役を言い渡しました。

第二次大本事件の大審院(現在の最高裁)判決は、終戦(昭和20年8月15日)の直後も9月8日に、空襲で大審院は焼失しまったので、国民学校の中に移された法廷で上告棄却の判決が読み上げられました。
 
治安維持法違反は無罪、不敬罪は有罪という二審の判決が確定しました。

しかしその後、日本を占領したGHQ(連合軍総司令部)が思想や信教などの自由を制限する法令の撤廃を指令したため、10月17日に大赦により不敬罪は「赦免」となりました。







●日本列島は世界地図の縮図になっている!?日本は世界の雛形であるという大本の教え


画像



出口なおのお筆先には、
「世界にある事変は、皆明治32年から大本の内部に模写(かた)がして見せてあるぞよ」
「この(大本)内部のごたごたが世界にできるぞよ。」
「いつ大本にこうゆう事がありたという事を、つけとめておいて下されよ」
「世界の“かがみ”になる大本であるから、世界にあること雛型(かた)をしてみせるぞよ」
「大本にあったことは必ず日本と世界に実現する」
「大本は世界の模型(かた)であるから、箸(はし)のころんだ事までつけとめておいて下されよ」
などという記述がたくさん出てきます。



その意味を、出口王仁三郎は次のように言ったと、大本の三鏡という本にのっています。

「大本に在りたことは皆世界にある、即ち大本は型をする所である」と云ふ神諭のある事は皆がよく知つて居るところである。

故によい型をよい型をと出すようにせねばならぬのであるが、さうばかりも行かぬのは誠に残念な事である。大本は全く正義の団体であるにも拘はらず常に疑ひの妙な目をもつて見られて居る。

大正十年に起つた大本事件の如きは、当時幾何誠意の陳述をしても、それが全く受け入れられないで、恰も大本は横紙破りでもする如く、すべてが取られて行つた。

今世界に対する日本の立場が全く大本のそれと同じで、正義の主張が一つも通らぬのである。松岡全権のあの正々堂々の議論に対しても、恰も横紙破りの主張を日本がしてゐるやうに世界各国が誤認して、日本の云ひ分が一つも通らなかつたのである。

併し最後は大本が天恩に浴し、公訴権の消滅によつて全く青天白日、元の白紙状態にかへつた如く世界から日本の正義を認められる日がやがては来るであらうけれど、其間、日本は可なりの苦痛を嘗めさせらるる事であらう。

大本は七年間迫害と攻撃の渦の中に隠忍自重して来たのである。日本も最後にはきつとよくなるのであるから隠忍せねばならぬ。」



さらに、出口王仁三郎は、次のようなことも残しています。

「日出る国の日の本は、全く世界の雛形ぞ。
我九州は亜弗利加(アフリカ)に、北海道は北米に。台湾嶋は南米に、四国の島は濠州(オーストラリア)に、我本州は広くして、欧亜(おうあ)大陸其儘(そのまま)の、地形を止むるも千早振、神代の古き昔より、深き神誓(ちか)いの在(いま)すなり。」



まとめると、「大本で起こった雛型(かた)がまず日本にうつり」「日本に起きたことが、そのまま世界にうつる」という意味であるようです。

大本では、第二次大本事件の前後に起きた出来事と第二次世界大戦の前後に起きた出来事が相応すると言われています。

大本の出来事:昭和9年7月22日・昭和神聖会発会式→日本の出来事:昭和14年7月22日・第二次近衛内閣成立

大本の出来事:昭和10年12月8日・第二次弾圧事件勃発→日本の出来事:昭和16年12月8日・太平洋戦争勃発

大本の出来事:昭和11年4月18日・綾部と亀岡の不当譲渡→日本の出来事:昭和17年4月18日・東京初空襲

大本の出来事:昭和20年9月8白・大審院判決→日本の出来事:昭和26年9月8日・サンフランシスコ講話条約提携







●型を出す大本で起きた、昭和50年代の内輪揉め・・・第三次大本事件ー反教団事件とは何か


画像



その「大本で起こった雛型(かた)がまず日本にうつり」「日本に起きたことが、そのまま世界にうつる」とされている大本が、昭和50年代、大本の中で二つの「反教団事件」が表面化したという。

大本は過去に、戦前・戦中にかけて、日本政府から二度にわたる宗教弾圧(「第一次大本事件」「第二次大本件」)を受けたことで知られていますが、この「反教団事件」はそれまでに遭遇した弾圧事件とは異なり、教団外から起こされたものではなく、いずれも教主の身内で起きたもであったそうです。

大本は出口なおから始まり教主を代々女性が継ぐようで、幼少のころより将来は三代教主の長女が大本の四代教主に就かれる”と大本信徒のだれもが思っていたけれども、「反教団事件」の発生によって状況が変わったという。

三代教主・直日の長女の夫が翼思想に傾倒し、社会主義こそ「みろくの世(理想世界)」と、大本の本来の教えから大きく外れた思想を持つとともに、政治的色彩の強い活動を行い始めた。

それに対し、直日は「大本の平和運動は、右によらず左によらず、右をも左をも平和の大道に活かしうるものでなければなりません。大本には大本としての平和運動があるはずです」と諭すなど、特定の思想に偏らないよう再三の指導を行った。

しかし、長女の夫は忠告を無視して、その指導に抵抗。

三代教主・直日は忍耐をもって正しい信仰のあり方を教え諭したが、長女の夫は聞き入れず、教主の神性を、根本的に否定して大本の神業を甚しく阻害。

ついには大本教団を告訴するに至った。

大本信徒、また社会へ与える混乱をこれ以上看過することは出来ず、直日は、それに同調した長女の教主継承を取り消し、三女・聖子を大本四代教主とした。

三代教主が教嗣変更を決断するにいたるまでの経緯が詳しく記されている三代教主の文章「清泉(せみ)の小川を」には、
「たしかに長女の目と耳には変化がおこっていました。出口の家に生まれた長女が本来的にもっていた自分の耳と目と口も、今ではまわりの誰かのものに変えられています。
長女は長女で――お母さんは何も知られない、お人好しやからまわりのひとらに騙(だま)されていなさる――と言葉には出しませんがそう思いこんでいるようです。
――教主は誰かにだまされている――と、かりに長女に告げるものがいたとしても、以前の長女であれば、その真偽を立て分けてくれたでしょうに。長女の生まれたころも、今も、母の私は少しも変わっていないのですから。
長女は――私がまわりに騙されている――と言い、私は――長女の目も耳も誰かのものになっている――と言います。」
「これはまわりのものが、知らずしらずに、長女に教団のほんとうの歩みが分からないように邪魔しているからです」
「私たちの長女として生まれたのですから、別に教えられなくても、大本がどういうところかということは肌で感じとっているはずです。それなのに近ごろの長女は、自分の家の中だけで教団をみて、大本の動きを広く受け取ろうとしません。その姿にはハッキリいって配偶者の考え方が原因しています。教団のもつれは、実はここに発しています。」
などがありました。

”長女が本来的にもっていた自分の耳と目と口も、今ではまわりの誰かのものに変えられています”−誰かにマインドコントロールされていたと受け取れたのでしょうか、長女が四代教主になるはずだったけれども、長女がマインドコントロールされているようだったり、その夫に問題があったりしたので、このままでは教団自体に影響が出ると思い教嗣変更を決断、その夫のすべての役職を剥奪することになったようです。

後に彼らはここを出て行って、別団体を作ったという。

その夫は、教団内部の問題を署名運動や要望書等を以て社会的に拡げたり、1954年のビキニの米国の実験反対運動や平和憲法擁護の運動、1962年のモスクワでの全面的軍縮の世界大会に日本宗教代表で参加し、そしてその帰路北京に立寄り周恩来総理を始め中国の要人達と懇談していたようで、そういう共産主義に傾いた発言や言動をこの大本本部は問題にしていたのかなと思います。

教嗣変更を決断、長女の夫のすべての役職を剥奪することになったのも、昔は共産党は暴力で革命をするということを大々的に出していたそうで、そういう考えをもっている人たちの影響を受けた夫が教団にいたら、型を出す大本としてはそういうのが世界に影響してしまうと考えたのでしょうか。





これらはもちろん、出口王仁三郎が亡くなった後の出来事ですが、この三回目の事件を何と言っていたのかというと、王仁三郎はかつて「大本事件はこれで終わったわけではない。大本事件は三度まである。松竹梅事件じゃ」と語ったことがあるようです。

王仁三郎は第一次大本事件で大阪梅田の大正日日新聞社社長室から、第二次大本事件では島根の松江から検挙されました。

三度目は「竹だ」と予言していたそうで、竹は内がカラなので、内輪から起こるということを言っていたそうです。

その言っていた通りなのか、兵庫県竹田別院の所属問題がきっかけで、内輪(内部)から起きたのが、この三回目の大本内部の事件のようです。

その大本の内輪揉めは、教嗣変更を決断するにいたる経緯を述べた三代教主の文章に”長女が本来的にもっていた自分の耳と目と口も、今ではまわりの誰かのものに変えられています”とあるように、四代教主になるはずだった長女が誰かにマインドコントロールされているようだったり、その夫が左翼思想に傾倒しているので、このままでは教団自体に影響が出ると思い教嗣変更を決断、その夫のすべての役職を剥奪することになったということですけれども、これだと一方が悪く、もう一方は悪くないと受け取れてしまうかと思います。

けれども、教嗣変更の経緯が記されている上の三代教主の文章の中に「長女は―私がまわりに騙されている―と言い、私は―長女の目も耳も誰かのものになっている―と言います。」という言葉から、AにとってはBが騙されているように見え、BにとってはAが悪く見えるのは、その両者に両方を離間させようとする存在がくっついて、お互いを悪いと思わせている場合もあると思いました。

かつて存在したソ連は、各国の共産主義者と連携したコミンテルンというスパイ組織を作り、1935年(昭和10)にはその第7回コミンテルン大会で「日本を支那とアメリカ・イギリス、ドイツをイギリス・フランスと戦わせて、最後に漁夫の利を占める」ことを宣言し、後に漁夫の利式に戦争を起こしていきました。

政府内に入ったコミンテルンのスパイに誘導されたアメリカは日本が悪いと思い、日本も同じく軍とか政府とかに入ったコミンテルンのスパイによってアメリカと戦わなければならないという方向に誘導され、両方がコントロールされていました。

第二次世界大戦では国と国が揉めるように動いていたスパイがいたように、内輪揉めも単に二者が揉めている場合だけではなく、その両方に「連携をとりながら両者を離間させている存在」がくっついている場合を踏まえて考えなければ、目に見える範囲内の、目の前の対象を敵だと思って責め続けても、それほど解決しないのかなと思います。

大本が日本のひな型を出し、日本が世界のひな型を出すという大本の教えが本当かどうか疑問は残りますが、でもその考えを前提に考えるならば、第三次大本事件は弾圧の様な大きな争いが起きていないので、今の時代の争いは色んなところで内輪揉めが起きていると考えることもできるかと思います。

どこでも内輪もめの際には目の前の対象を攻める前に、目の前ではないところに離間させている存在はいないかどうか考えないといけないのかなぁとも思います。








月別リンク

ブログ気持玉

この記事に貼り付けられるブログ気持玉の上限に達しました。
気持玉数 : 500
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた
面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い
ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス
ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!)
かわいい かわいい かわいい かわいい

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
画像
画像
大本教の内輪揉め・第三次大本事件を参考に考える、連携をとりながら両者を離間させている存在とは もも先生のお料理と時事問題/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる